『はじめての子ども論』リーディングガイド

序 章

元森絵里子/ハン・トンヒョン編『成人式を社会学する』有斐閣、2024年

日本には、「大人」になった節目を祝う「成人の日」があり、全国の自治体で「成人式」が行われてきました。戦後にできた祝日なのに、伝統行事かのように扱われ、参加率の低さや参加者のマナーが問題視されながら、廃止される気配もありません。2022年に成人年齢が18歳に引き下げられたあとも、「はたちのつどい」などの名称で全国の自治体で式典が続いています。この本は、この行事はどうあるべきかを論じるのではなく、この曖昧な行事を組み込んだ日本社会はどうであるのかを、若者、ファッション、エスニシティなどの観点から社会学的に分析しています。「大人」「若者」という社会的カテゴリーをめぐる社会学的考察の事例として、手にとってみてください。

東野充成『子ども観の社会学:子どもにまつわる方の立法過程分析』大学教育出版、2008年

児童福祉法、少年法、児童虐待防止法、子育て支援施策など、子どもにまつわる法律の立法過程を分析し、そこに表われた子ども観と大人観を明らかにした著作です。発売から15年以上たつ本のため最新の法律や制度の分析ではありませんが、子ども観を研究することの意義がどこにあるのかや、法や制度に着目する意味がよくわかります。この本の先に、それぞれ現行の法制度について自分の手で分析をしてみるのもよいでしょう。

第1章

ラッセル・フリードマン『ちいさな労働者:写真家ルイス・ハインの目がとらえた子どもたち』(千葉茂樹訳)あすなろ書房、1996年

ルイス・ハインのコンパクトな伝記を、具体的な写真を見ながらたどれる本です。恵まれた家庭の出身ではなかったハインは、教師を経て、児童労働を批判し福祉制度の確立を訴えるような団体の依頼を受けて、児童労働の現場を撮影するようになります。時に疲れ果て、時ににらむような表情の子どもたちの写真とともに、ハインが、写真という新しいメディアを通して貧困や児童労働を社会問題化していく様子を追体験してみてください。

フィリップ・アリエス『〈子供〉の誕生:アンシァン・レジーム期の子供と家族生活』(杉山光信・杉山恵美子訳)みすず書房、1980年

大量の資料から数百年に及ぶヨーロッパの子ども期に関する感覚を明らかにし、「中世には子ども期を特別視する感覚はなかった」と主張した本です。第1部では、絵画に描かれた子どもや服装、遊びなどから、子どもへの2つのまなざしの誕生を示し、第2部では学校、第3部では家族と共同体の変化に関連づけて、さらにそれを深めていきます。本文で述べたように、その主張は賛否を巻き起こしましたが、それも含めて、家族史や子ども史に大きなインパクトを与えた1冊です。

岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年

教員採用試験用の標準的教科書とは一風異なる教育史の入門書です。上からの歴史(思想・制度や構造)と下からの歴史(生きられた経験)を往復しながら、歴史のなかで教育がどのような失敗をしてきたかを、西欧と日本の例を組み合わせながら見ていきます。入門書にしてはめずらしく、教育の歴史をどう見ることが現代において重要なのか(「役に立つ」のか)、既存の教育史の視角の何が問題かを余すところなく語っています。第1章がアリエス以降の子ども史のまとめになっているほか、教育や労働、福祉についての歴史学の知見の紹介も参考になります。

第2章

ヒュー・カニンガム『概説子ども観の社会史:ヨーロッパとアメリカにみる教育・福祉・国家』(北本正章訳)新曜社、2013年

1995年に原著が刊行された、イギリスの子ども史の泰斗による「子ども」の歴史です。1500年から現在までの子ども期の観念の歴史をたどり、中世に子ども期はあったとアリエスの主張を退けたうえで、「子ども期イデオロギー」が18世紀に登場したことを重視します。さらに、「子どもであることの経験」を観念の歴史とは区別し、両者を結びつけた歴史記述を主張。18世紀半ばに博愛団体から国家へと子ども政策の担い手が移り変わっていく様子や、20世紀に科学と専門家や社会政策が親子関係に介入していく様子を描きます。最後は20世紀末にも言及されています。
なお、日本語訳がありませんが、同じくイギリス子ども史の泰斗ハリー・ヘンドリックの論考、“Constructions and Reconstructions of British Childhood”(Hendrick [1990]2015)も近代的子ども観の複数性を描いた基本文献としておすすめです。

今井康雄編『教育思想史』有斐閣、2009年

ロックやルソーの教育思想・子ども思想に興味を持ったならば、原典をあたる前に教育思想史の教科書を手にとってみるのがいいでしょう。自習に使う教科書には、自分が読みやすいと思うものを選べばいいのですが、この本は、近代という時代がなぜこれだけ教育思想を生んだのかという背景や、それぞれの思想家の人間観や思想観に触れながら、思想家ごとにコンパクトに解説してくれます。ペスタロッチやフレーベル、本文の後の章で出てくるヘルバルトや新教育、デュルケーム、デューイ、そして、フーコーやルーマンも解説されています。

坂井妙子『アリスの服が着たい:ヴィクトリア朝児童文学と子供服の誕生』勁草書房、2007年

子ども服の歴史を概説したうえで、現代日本のサブカルチャーにもつながる、アリスの服、小公子セドリックの服、セーラー服など、イギリスヴィクトリア朝で流行した「キャラクター子ども服」4つを分析した本です。購買力のあるミドルクラスの登場と、児童文学と子ども服の関係がコンパクトに学べます。 もしファッションが好きで、西洋ファッション史の知識がある程度あるならば、17世紀から1970年代までの子ども服の歴史を概観した古典、ユウィング『こども服の歴史』(Ewing1977=2016)がおすすめです。子ども固有の服を着せるという発想は、ロックの思想を画期に語られはじめ、ロマン主義の風潮のなかで実現します。締めつけない動きやすい子ども服は大人の服にも影響を与えますが、やがて大人の服は堅苦しさを取り戻し、子ども服も大人の服のミニチュアにアレンジを加えたものへ回帰します。こうした、階層や性別、農村/都市、年齢や場面で錯綜する子ども服の歴史的展開を学べます。

第3章

慎改康之『ミシェル・フーコー:自己から脱け出すための哲学』岩波新書、2019年

ミシェル・フーコーの思想の入門書。1975年発行の『監視と処罰(邦題:監獄の誕生)』(Foucault 1975=1977)で、フーコーは「君主権的権力」に代わる近代社会特有の「規律権力」という概念を導入し一世を風靡しますが、翌年のコレージュ・ド・フランスの講義と『知への意志:性の歴史Ⅰ』(Foucault 1976=1986)で、「規律権力」と「生政治」を2つの極とする「生権力」という新たな概念を出します。この本の第5章と第6章は、この過程を初学者でもわかるようにコンパクトに解説してくれています。

パメラ・ホーン『はたらく子どもの世界:産業革命期イギリスを生きる』(藤井透・廣重準四郎訳)晃洋書房、2021年

 児童労働の写真を見て、工場法は習ったけれど、実感を伴って理解していなかったなあと思った人も少なくないと思います。工場法と児童労働をめぐっては、長らく「資本主義社会になって、工場での悲惨な児童労働が蔓延した」というマルクス主義的理解や「工場法が悲惨な児童労働の実態を改善した」という進歩史観が広まっていました。それに対して、ナーディネリ『子どもたちと産業革命』(Nardinelli 1990=1998)が、工場で働いていた子どもは割合として多くはなかったし、待遇がさほど悪くなかったから工場労働が選ばれていた、児童労働が減少したのは法規制の成果ではなく技術進歩で年少労働力が必要がなくなったからだと論じて、新しい児童労働研究を開きました。ホーンの著作は、ナーディネリ以降の研究動向とそれらが明らかにした児童労働の実態を、コンパクトに説明した教科書です。

武田尚子『チョコレートの世界史:近代ヨーロッパが磨き上げた褐色の宝石』中公新書、2010年

新大陸からもたらされたカカオが、宮廷文化を経て、イギリスの大衆に広がったのは、プロテスタントの一派であるクエーカー教徒が固形チョコレートを一大産業にしたことによります。ヨーク調査で有名なシーボム・ラウントリーは、キットカットを生み出したラウントリー社の社長になる人です。クエーカーの社会問題への関心は深く、シーボムの父と彼の代で、教育施設などの工場労働者の福利厚生を充実させ、産業心理学の知見を取り入れた改革が行われました。「子ども」というテーマからはやや外れますが、チョコレートを窓にして、貿易や生産・消費体制のなかの食物、社会調査と企業福祉とキリスト教の歴史が望める一冊です。

第4章

エレン・ケイ『児童の世紀』(小野寺信・小野寺百合子訳)冨山房、1979年

「20世紀は児童[子ども]の世紀になる」と宣言した子ども研究では必読の書。ただし、実際に読んでみると、児童中心主義教育の主張は、教育をしようとしない、家庭教育が大切、教科書ではなく童話から学べ、などの極端なもので、女性が母性を発揮することが重要だという、現代のジェンダー感覚からすると疑問符がつく思想も綴られています。極めつけは、調和ある結婚から生まれた子どもが人類の進化をもたらすという優生学的な発想です。子ども尊重思想のバイブルのような扱いではなく、よくも悪くも20世紀に展開される子ども観が凝縮された歴史的な言説として読むべき本です。

本田和子『子ども100年のエポック:「児童の世紀」から「子どもの権利条約」まで』フレーベル館、2000年

21世紀最初の年に、児童学の泰斗が、「児童の世紀」として幕をあけた20世紀の子ども観を振り返った本です。第1章「科学の時代の『子ども』」において、乳幼児死亡率低下の努力や児童研究運動などの西洋と日本の歴史をコンパクトにまとめてくれています。20世紀後半については、20世紀の子ども観の帰結として、子どもが学校を中心とする子ども時代に囲い込まれてしまう息苦しさが描かれますが、こちらは、本文の第12章で紹介するような20世紀末日本の子ども観の問い直しの機運のなかで書かれているので、当時を知らない方からするとピンと来ないのではないかと思います。

第5章

小山静子『子どもたちの近代:学校教育と家庭教育』吉川弘文館、2002年

アリエスの問題提起を日本文脈で捉え直し、子どもへの近代的まなざしの成立を描き出した本です。江戸期の「いえの子ども」「むらの子ども」が「藩の子ども」「幕府の子ども」を経て、「国家の子ども」「家庭の子ども」となっていくさまを、学校教育制度の発達、近代家族の登場と女子教育論・家庭教育論の成立などから読み解いていきます。学校にとどまらない教育的な子ども観の構築の歴史をコンパクトに描いた貴重な本です。ただし、本文の第9章、第10章で見るように、近代にも、このような子ども観とは別の世界があったことにも目を向ける必要があります。

河原和枝『子ども観の近代:『赤い鳥』と「童心」の理想』中公新書、1998年

明治・大正期の児童文学を素材に、子どもに関する新しい知がどう構築されたのかを、知識社会学的に考察した本です。明治期に子ども向けのお伽噺が登場したところから説き起こし、やがてロマン主義的な童話や童謡が生み出され、雑誌『赤い鳥』が登場する過程を説明します。そのうえで、『赤い鳥』の無垢な子ども観を、「良い子」「弱い子」「純粋な子」の3イメージに分類し、具体的な作品とともに紹介しています。さらに、同時代の言説や童心主義を支えた社会背景も解説してくれます。

神野由紀『子どもをめぐるデザインと近代:拡大する商品世界』世界思想社、2011年

近代的な子ども観、特に童心主義的な子ども観を組み込んだ子ども向けのものを、百貨店(デパート)が商品としてデザインし、博覧会を通じて豊かな階層に提案するさまを描いています。既成子ども服、子ども部屋、文房具、洋菓子などの商品や、七五三やひな祭りなどのイベントの登場の経緯がよくわかります。デザイナーの子ども観や、大人による玩具コレクション趣味の登場などにも言及されていて、子ども観の考察が前面に出た本ではありませんが、日本に子ども向け商品市場が登場する様子がよくわかります。

第6章

歴史教育者協議会編『写真・絵画集成 日本の子どもたち 近現代を生きる:1 明治から大正・昭和へ(1868$301C1930)』日本図書センター、1996年

明治から太平洋戦争前夜までの「日本」の子ども(北海道や沖縄、植民地化した韓国を含む)の写真や絵を簡単な解説つきで紹介する図録です。学校教育が広がり国家主義に取り込まれたり、童心主義や児童中心主義教育の世界を生きる層が現れたりしている一方で、働く子ども、孤児院等で育つ子どもがいた様子がよくわかります。開化期の留学生、子守学校、活動写真、昭和恐慌、農繁期託児所、少年倶楽部など、本文で紹介しきれない戦前期の子どもたちの現実を視覚的に学べます。全5巻で1990年代までの写真が載っています。

桜井哲夫『不良少年』ちくま新書、1997年

近代社会において、年少者を教育の対象とすると同時に、逸脱した年少者たちを社会秩序を乱す存在として恐れ、再教育・矯正する制度ができていきます。この本は、ミシェル・フーコーやジャック・ドンズロを参考に、医学や心理学が正常と異常の基準を定めていったり、ソーシャルワーカーが家族に介入したりするようになる歴史を手短に示したのち、日本の不良少年政策の黎明期に話を進めます。本文の第12章で紹介するような、学校化社会批判と子ども観の問い直しという論調が前面に出た20世紀末の本ですから、後半の20世紀後半の非行少年の分析は、歴史的な言説として距離をとって読む必要があります。

宝月理恵『近代日本における衛生の展開と受容』東信堂、2010年

衛生規範が輸入され、学校衛生をはじめとする衛生制度が整えられていく様子を見せてくれる研究書です。一見すると善意で非政治的と思える衛生実践が、国民国家による国民の陶冶・管理と深く結びついていることがわかると同時に、そのような政策意図から外れる新中間層家族(母親)がそれを積極的に受容していった様子もつまびらかにされています。日本における衛生と子どもの歴史を描いた貴重な本であると同時に、国家による学校を通した社会化実践と新中間層家族の自発的戦略に牽引された、日本の子ども観の「網の目」の一端を見せてくれる本です。

第7章

小針誠『アクティブラーニング:学校教育の理想と現実』講談社現代新書、2018年

学びが変わる、学校が変わると宣伝される、2017年告示の学習指導要領の「主体的・対話的で深い学び」(アクティブラーニング)を、教育史と教育社会学の知見を用いて問い直した著作です。戦前の大正新教育や戦時下の新教育、戦後の戦後新教育や民間教育研究運動、平成期の新学力観や総合的な学習の時間など、子どもの主体性を尊重した教育実践は実は繰り返されています。その歴史を学び、揺れ続ける「改革」の振り子から何を学ぶかを考えるのに最適な1冊です。

佐野眞一『遠い「山びこ」:無着成恭と教え子たちの四十年』中公文庫、2025年

戦後に花開いた経験主義的な民主教育実践として有名な無着成恭(むちゃくせいきょう)『山びこ学校』のその後を取材したノンフィクションです。生活綴方教育に可能性を見た20代の青年教師が、43人の中学生に村の貧困を見つめ考えさせる実践をし、メディアでも大々的に取り上げられました。その後の40年を生徒たちはどう生きたのか、主体的に考え村を改革していく主体となるように仕向けられたあの実践をどう振り返っているのか……。教師と児童生徒、大人と子どもという非対称の関係について、考えさせられる1冊です。

第8章

広瀬健二『少年法入門』岩波新書、2021年

法律条文の詳細に分け入った少年法の教科書はいくつもありますが、少年法の理念と少年への処遇の実際を学ぶには、新書のこちらがおすすめです。少年法の理念と構成、実際の手続き、保護処分や少年院での矯正教育の詳細などをコンパクトかつわかりやすく説明してくれます。後半では、少年犯罪の実情や、諸外国の少年法制、日本の少年法の歴史も描かれており、1冊で少年司法について考えるための基礎がつくれます。

鮎川潤『新版 少年犯罪:18歳、19歳をどう扱うべきか』平凡社新書、2022年

報道、取り締まる側、犯罪を行う側が重層的に絡まって少年犯罪という社会問題が構築され、法律が制定・改定されていく歴史を、明治期から令和までたどっています。2001年刊の『少年犯罪:ほんとうに多発化・凶悪化しているのか』を、この20年の動向と法改正を踏まえて加筆修正したもので、20世紀末以降騒がれる、「少年の凶悪化」というイメージを多角的に問い直し、「厳罰化」とされる改正や「特定少年」の創設の是非などを、単純化された「保護か責任か」という極論に陥らずに見通す視点を与えてくれるでしょう。

鈴木明子・勝山敏一『感化院の記憶』桂書房、2001年

感化院(現児童自立支援施設)は、家族的処遇を前提として、不良少年と生活をともにしながら指導し、更生(現在は自立)を図る施設です。この本は、富山県の樹徳学園(現富山学園)の院長と保母の夫婦の子どもとして、感化院内で育った女性(1911年生)との出会いをきっかけに編まれたものです。同時代の子どもの置かれた状況と、少年矯正の法制度の歴史的変遷を振り返りつつ、史料と聞き取りに基づいて、樹徳学園の沿革と日々の活動の様子をわかりやすく見せてくれます。

第9章

元森絵里子・高橋靖幸・土屋敦・貞包英之『多様な子どもの近代:稼ぐ・貰われる・消費する年少者たち』青弓社、2021年

アリエスの『〈子供〉の誕生』(Ari$00E8s 1960=1980)が邦訳・出版されて以来、近代的子ども観の誕生→浸透→変容という単純な図式が広まってしまいました。しかし、戦前期の日本は階層差が目立った社会でした。近代的な諸制度が定番の「子ども」の定義群を広める一方で、多様な論理と多様な現実も目についたはずです。この本は、歴史社会学の観点から、稼ぐ・貰われる・消費する年少者の実態と大人のまなざしの多様性を描き出し、単純な図式に回収されない歴史を描き直すことを試みています。

塩見鮮一郎『貧民の帝都』文春新書、2008年

江戸期の身分秩序が崩壊し、維新の混乱で浮浪者(ホームレス)があふれることになった東京の貧民窟(スラム)の実情を示し、東京市養育院を中心とする貧困対策施設の活動を見せてくれる本です。東京市養育院は子どもに特化した施設ではありませんが、子ども部門に感化の思想が入ってくる様子や、養育院の代表を長く務めた渋沢栄一、岡山孤児院の石井十次、二葉幼稚園の野口幽香、救世軍の山室軍平、神戸新川スラムに住んで活動した賀川豊彦といった社会福祉・児童福祉史の偉人たちの交流の様子もわかります。

太田省一『子役のテレビ史:早熟と無垢と光と影』星海社新書、2023年

児童労働禁止の例外であり、子どもの芸の消費というテーマとも関わるのが子役です。子役には「大人顔負け」の演技力で「子どもらしい子ども」を表現すること、早熟であると同時に無垢であることが求められます。この本は、テレビの子ども像の変化と、それを演じる子役の扱いの変化を、有名子役史を兼ねて描き出します。現代に近づくと、大人顔負けであることが比較的肯定的に捉えられていることも示唆されます。

第10章

元森絵里子『語られない子どもの近代:年少者保護制度の歴史社会学』勁草書房、2014年

いくつかの典型的な子どもにまつわる感覚が生まれ、絡まり合い、典型的な二項対立の議論がなされるようになった明治後半から昭和戦前期に、法制度が生まれる場においてすら、年少者にそうしたまなざしを注がない論理が表明されていたこと、制度が整ったことでそれが消え去ったわけでもないことを明らかにしようとした研究書です。本文の第9章、第10章の工場法、未成年者飲酒禁止法、公娼制度をめぐる議論について、具体的な言説やより詳細な議論を知りたい人は手にとってみてください。

仁藤夢乃『女子高生の裏社会:「関係性の貧困」に生きる少女たち』光文社新書、2014年

貧困や虐待、家庭不和などで家に居場所のない女子高生たちが、適切な保護の手が差し伸べられないなかで、繁華街で一見優しく声をかけてくれる大人を通して性風俗に絡めとられていくさまを克明に記した本です。「子ども」扱いの論理の側から、「非行」だと道徳的に非難されがちな少女たちに、いかに別の論理の世界が忍び寄っているかがわかります。現代においては、経済的貧困だけでなく「関係性の貧困」もその原因であるという示唆も与えてくれます。

林雄亮・石川由香里・加藤秀一編『若者の性の現在地:青少年の性行動全国調査と複合的アプローチから考える』勁草書房、2022年

飲酒は適切な参考文献がないのですが、年少者の性とそれに対する社会の対応の現在を考えるならば、この本がおすすめです。若者の性の解放が賛否を巻き起こした時代である1974年から、約6年ごとに行われてきた「青少年の性行動調査」の最新調査の動向を多角的に分析した章に加え、性教育の制度や民間団体の活動、デートDVやマッチングアプリ、性的マイノリティへの意識など、現代を考えるうえで欠かせない論点を扱っています。

第11章

土屋敦『「戦争孤児」を生きる:ライフストーリー/沈黙/語りの歴史社会学』青弓社、2021年

第二次世界大戦末期の本土空襲で親を失った戦争孤児たちは、孤児というだけで差別されたり、引き取られた先で労働力としてこき使われたりしました。日本社会で「標準」で「正常」な家族や子ども期のイメージが強まっていくなか、非行少年予備群のように扱われ、学歴取得や就職で辛酸をなめました。この本は、10人の元戦争孤児へのライフストーリーインタビューに基づく社会学的分析です。子ども観の戦後史を理解したうえで読むと、この方々が何に苦しみ、そしてなぜ人生後半に重い口を開いたのかが、より深く理解できます。

苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ:学歴主義と平等神話の戦後史』中公新書、1995年

戦後日本社会は、学歴取得により幸せな人生を送れるという夢を大衆に植えつけ、教育機会を拡張しました。能力主義でクラスを分けたりするのは差別であるという教育論が幅を利かせる一方で、受験競争が過熱し、実際には成績や学歴に親の階層が影響していることが見えなくなっていく、そのパラドックスともいえる状況を明らかにした古典です。子どもの貧困や格差の再生産に注目が集まり出した2009年に書かれた『教育と平等:大衆教育社会はいかに生成したか』も併せておすすめです。

小国喜弘『戦後教育史:貧困・校内暴力・いじめから、不登校・発達障害問題まで』中公新書、2023年

敗戦・民主化から一億総中流に至る変化のなかで、産業界の要求も相まって、いかにして均質で統制的な教育体制ができてきたのか、その横でその体制についていけない障害児がどのように処遇され、そして抵抗運動が起きたのかという観点から、戦後日本教育史を批判的に描き出す本です。21世紀転換期以降の新自由主義と特別支援教育まで展望できます。子ども期をめぐる標準化と多様性のせめぎあいの歴史として読むこともできます。

第12章

ニール・ポストマン『子どもはもういない(改訂版)』(小柴一訳)新樹社、2001年

マーシャル・マクルーハンの『メディア論』(McLuhan 1964=1987)を下敷きに、印刷技術の時代が準備・学習期間としての子ども期を大人期から引き離したのに対して、電信技術(テレビ)の時代になって再び両者の差異がなくなってきていると述べて、話題となった本です。今となっては時代の制約を帯びた議論ですが、日進月歩で進化する新しいメディアデバイスが「子ども」と「大人」の境界をどう組み直しているかを考える際、批判的に乗り越えるべき本です。

ロジャー・ハート『子どもの参画:コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』(木下勇・田中治彦・南博文監修、IPA日本支部訳)萌文社、2000年

子どもの参画や能動的権利を保障する実践や活動を行いたい人は、まず参照せねばならない古典です。本文で紹介した「参画のはしご」が有名ですが、実は、地球環境問題が話題となり、持続可能な開発(のちのSDGsにつながる考え方)が話題となった文脈で、コミュニティと地球の未来を考えるのに利害関係者である子どもが加わらないのはおかしいという発想から出てきた思想です。その前提やはしごの段階論の妥当性を問い直しながら、読むべき本です。

桜井智恵子『子どもの声を社会へ:子どもオンブズの挑戦』岩波新書、2012年

「子ども」は「大人」とは異なり「大人」に支えられて育つという前提がある以上、「子どもの権利」とは大人と同等に扱うという意味ではありません。この本は、「子どもの権利」を関係性のなかで捉える関係的権利論の議論を紹介しながら、子どもの声に耳を傾けつつさまざまな権利擁護をする理論的可能性を論じています。事例として、兵庫県川西市の子どもの人権オンブズパーソンが関係機関をつなぎながら、子どもを取り巻く問題を改善していく様子が紹介されています。関係性に注目しない、リベラリズムの人間観や自由観・平等観の問題にも言及しています。

第13章

阿部彩『子どもの貧困』岩波新書、2008年

相対的貧困で考えると、日本にも貧困世帯に暮らす子どもがいるということを主張し、「子どもの貧困」が社会問題であると世に知らしめた著作です。子ども時代の貧困は、教育機会の逸失を生み、ひいては大人になってからの貧困につながること(貧困の再生産)を、統計データによってわかりやすく示してくれます。もはや古典となりましたが、非「標準」の子どもが次々と社会問題化され、生存保障・教育保障が重要視されるに至るきっかけの1つとなった本です。

荒牧重人ほか編『外国人の子ども白書(第2版):権利・貧困・教育・文化・国籍と共生の視点から』明石書店、2022年

日本における「外国につながる子ども」の歴史と現状、制度や支援の実状と課題が一覧できる入門書です。エスニシティごとの違い、移動経験のインパクト、家族や教育の問題、人権保障の課題から、在留資格や国籍、貧困問題や支援の現場まで網羅しています。第1版は外国につながる子どもの存在がようやく社会問題化した時期に出されましたが、第2版でコロナ禍と入管政策の変化を反映してアップデートされました。

佐々木宏・鳥山まどか編『シリーズ子どもの貧困③ 教える・学ぶ:教育に何ができるか』明石書店、2019年

社会福祉学、社会学、教育学、経済学などの研究者と子どもの貧困支援に携わる実践者が、「子どもの貧困元年」(2008年)から10年の政策・実践・研究を多角的かつ批判的に検討した1冊です。現在の対策が、教育による自立(就労)の強制となり、実態としては不利な立場を再生産してしまいうること、教育の手段化や子ども本人の意志の軽視にもつながることなどについて、注意喚起しています。また、日本社会が家族による教育投資に依存した制度設計となっていること、それを人々が当然視していることを批判的に指摘したうえで、各現場ができること・できないことを論じています。子どもの貧困支援の現在を理解し、それをよりましなほうへと組み換えていくための基礎知識を得られる1冊です。

終 章

元森絵里子・南出和余・高橋靖幸編『子どもへの視角:新しい子ども社会研究』新曜社、2020年

20世紀末の教育的子ども観の問い直しの機運のなかで、たくさんの子ども論が記されました。ただ、それらは、大人中心を批判して子ども文化を言祝ぐ、近代的教育を批判して非近代的な子育てに理想を見る、といった二項対立的・規範的な議論に終始する傾向があります。多様な子どもに目が向くようになった一方で、子ども期の保護や教育の価値も高まっているという2020年代の複雑な状況を見つめるために、既存の視角を乗り越え、後期近代に即した子ども研究の社会学・文化人類学の視角を複数提案した著作です。

アラン・プラウト『これからの子ども社会学:生物・技術・社会のネットワークとしての「子ども」』(元森絵里子訳)新曜社、2017年

この本は、まず、複雑化する後期近代の子どもを扱うには、近代社会がつくりあげた子ども/大人=生物(自然)/社会(文化)、ビーイング(今を生きる、存在)/ビカミング(未来に備える、生成)という想定や、それを支える個人/社会、物質(実体)/言説(構築)という二項対立的な道具立ては捨て去るべきだと主張します。そして、代わりに、とっくの昔に「近代的主体」や「社会構造」などの近代的諸概念の問い直しに入った哲学や現代思想の知見を応用し、子ども観と子どもの現実を記述する、子ども社会研究の一般理論を提唱します。歴史と現在の記述を志向する立場(本文Column⑨参照)とは異なる点もありますが、学問として子ども社会学を学びたい人は読むべき1冊です。

大江洋『関係的権利論:子どもの権利から権利の再構成へ』勁草書房、2004年

「子どもは大人に保護され教育されるべき存在だ」という非対称な前提が社会制度のなかに深く組み込まれている以上、「子どもは受動的な存在ではなく能動的権利を持つ社会の参画者だ」と二項対立図式に乗って唱えるだけでは何も始まりません。そのようななか、権利を個人に内在するものではなく関係性のなかで実現するものと見て、マーサ・ミノウというフェミニズム思想家の「関係的権利論」を、子どもの権利論にまとめあげたのがこの著作です。規範的な議論をしっかり考えたい人は、読むべき1冊です。