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連載

家族と刑法――家庭は犯罪の温床か?

第10回 死者がその家族によって弔われないとき

立教大学大学院法務研究科教授 深町晋也〔Fukamachi Shinya〕

 

1 はじめに――私的な追憶から

 2018年6月初旬に、母方の祖母が亡くなった。白寿を目前にした死であり、日本人女性の平均寿命(1)からしても長生きであったと評すべきであろう。しかし、それでもやはり、筆者にとっては様々な思いが募る出来事であった。筆者が生まれた函館に母方の実家はあるが、ここ暫くは年に一度の墓参りでしか戻らない場所となっていた。

 母方の実家から連絡を受けて、急いで函館に向かい、何とか通夜には間に合った。翌日には荼毘に付され、いわゆる「骨上げ」が行われた。焼かれた遺骨を全て骨壺に納める(2)のであるが、壺の大きさと遺骨の量との関係で、適宜、骨を砕いて入れて行くのが大変に印象的であった。その後、台の上にわずかに残ったのは灰ばかりであった。ふと、この灰はどのように処分されるのかと考えた。すなわち、遺灰は遺骨としての法的保護を受けるのであろうか、という疑問が脳内をよぎったのである。

 我が国には死体損壊罪(刑法190条)という犯罪がある。厳密に言えば、死体のみならず、遺骨や遺髪なども保護する規定であり、遺灰を廃棄する行為も本罪に該当するのではないか。あるいは、遺骨を砕いて骨壺に入れる行為は本罪に該当しないのであろうか。

 他方で、そもそもこうした行為は火葬という葬送に伴うものであり、我々の社会習俗に合致したものである。むしろ、こうした葬送をせず、死体をそのまま放置する方が、我々の死者に対する追慕の情を害するものと言えよう。

 こうした観点から、近時重要な議論対象となっているものとして、自宅内で家族が死亡した後、残された家族がその遺体を弔わずに放置する事例(3)を挙げることができる。本稿執筆中にも、自宅で死亡した母親の遺体をそのまま放置した息子が逮捕されたとの報道に接した(4)が、このような事例はしばしば生じている。そこで今回は、死体損壊等罪の基本的な理解を踏まえた上で、家族構成員が死亡した後、他の家族構成員によって(適切に)弔われなかった場合について、検討を加えることにしたい。

2 死体損壊等罪とはどのような規定か

⑴条文の確認

 死体損壊等罪を規定する刑法190条は、以下のような条文である。

 

第190条 死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する。

 

 条文をざっと見る限りでは、死体や遺骨等を「損壊」、「遺棄」、「領得」する行為を処罰しており、遺骨の一部である遺灰を捨てる行為や、そもそも遺体を荼毘に附す行為ですら本罪に該当しそうにも見える。このように、一見すると本罪の成立範囲は極めて広い(5)ため、どのような観点から処罰範囲を適切に限定すべきかが問題となる。

⑵保護法益による議論

 刑法190条の保護法益としては、死者に対する国民一般の敬虔感情と解する見解が通説的と言える(6)。これに対して、後に検討するドイツにおける議論の影響の下、死者の人格権を本条の保護法益と解する見解も有力に主張されている(7)

 これらの見解は、「いかなる方式の葬送であれば死体を物理的に損壊しても刑法190条が成立しないのか」という問いに対しては一定の解決をもたらし得る。前者の見解からは、死者に対する国民一般の敬虔感情を害しないような行為、例えば、我が国において社会的に是認された方式の葬送に基づく行為(火葬、土葬等)については、その結果として死体が物理的に損傷されたとしても、本罪の成立が否定されることになる。他方、後者の見解からは、死者の生前の意思に合致するような行為であれば、たとえ国民一般の敬虔感情を害するような行為であったとしても、なお本罪の成立が否定されることになる(8)

 しかし、こうした保護法益の議論は、死者の弔いがなされない場合に、いかなる条件の下で本罪が成立し得るのかという本稿の関心にはなお十分に答えるものではない。というのは、ここで問題となるのは、「いかなる方式の葬送であれば死体を物理的に損壊しても刑法190条が成立しないのか」という問いではなく、「およそ何らの葬送もなされずに死体が放置される場合にも刑法190条が成立しないのか」という問いだからである。不作為の形態による死体の遺棄は、果たして処罰に値するのであろうか。この問いに答えるためには、不作為で犯罪が実現されたときに、そのような犯罪実現を回避すべき義務(作為義務)がどのような場合に肯定されるのかを見てみる必要がある。以下では、不作為による殺人罪(刑法199条)や保護責任者遺棄罪(刑法218条)を中心に検討を加える。

3 不作為犯の処罰根拠と不作為の死体遺棄罪

⑴作為義務を基礎づける根拠は何か

 例えば、人を殺そうと考えてナイフで刺して死なせた場合に、殺人罪が成立することは問題ないであろう。これに対して、海で溺れている人を死ねば良いと思って救助しないで死なせた場合にも同様に殺人罪が成立するのかは一個の問題である。というのは、海で溺れている人を救助しなかった者が多数いる場合に、「誰がその人を助けるべきであったのか」が問題となるからである。その場にいた全ての者に殺人罪が成立するとすれば、極めて妥当性を欠く結論であろう。

 そこで、刑法では、このような不作為によって犯罪が実現された場合に、不作為犯として責任を問われるのは、犯罪実現を回避すべき義務(作為義務)を負う者のみであると考えられている。こうした作為義務がどのような場合に発生するのかと言えば、学説では様々な見解が主張されているが、判例・裁判例を概観すると、親子関係のような一定の緊密な関係が存在する場合の他、契約で保護を引き受ける場合や、自動車ではねるといった先行行為によって危険を作り出した場合など、様々な類型が存在する(9)。それでは、死体損壊等罪についても、このような作為義務の発生根拠に関する議論がそのまま妥当するのであろうか。

⑵死体損壊等罪の不作為類型

 既に見たように、我が国の刑法190条は、死体等を「領得」する行為のほか、「損壊」や「遺棄」する行為をも処罰対象としている。死体の「損壊」とは、死体を物理的に損傷することと解されており、基本的には作為による形態(10)が想定されているものと言える(11)

 これに対して、死体の「遺棄」については、作為による遺棄、例えば、被害者を殺害した後に、土の中にその死体を埋め(12)、また、屋内の床下にその死体を隠匿する(13)行為のみならず、不作為による遺棄についても判例・裁判例においては広く肯定されている。それでは、不作為による遺棄はどのような場合に肯定されるのであろうか。

⑶不作為の死体遺棄罪

 不作為の死体遺棄罪の成立を巡っては、既に100年ほど前に、生まれたばかりの我が子を砂の中に埋めて窒息死させた後、そのまま死体を放置して立ち去ったという事案で、当時の大審院は、葬祭義務者が葬祭する意思なく死体を放置する場合に不作為の死体遺棄罪が成立するとの一般論を示しつつ、本件につき、母親は慣習上、死亡した我が子の葬祭義務を負う旨判示した(14)。その後、判例においては、一般論として、葬祭義務を負う者のみならず、死体の監護義務を負う者についても不作為の死体遺棄罪が成立する旨が示され(15)、更に、具体的事案において、被告人が死体の監護義務を負うことを理由として不作為の死体遺棄罪の成立を認める下級審裁判例も登場するに至った。

 例えば、①重過失によって被害者(被告人の祖母)を死亡させた被告人につき、被害者の子(被告人の父)が屋内で就寝中のために被害者の死亡に気づいていない状況においては、孫である被告人には祖母の死体を監護する義務があるとしたもの(16)や、②被害者の親から依頼を受けて重病であった被害者を預かっていたものの、被害者が死亡した後もなお親にその事実を知らせずに死体をミイラ化させた事案で、被告人に死体の監護義務を認め、被害者死亡の事実を親などに伝え、死体の引渡しが完了するまでの間は死体を適切に保管する義務があるとしたもの(17)がある。

 このように、判例・裁判例においては、葬祭義務者については、死者の親や子など、親族の中でも特に親密な関係にある者である場合に認められ、また、監護義務者についても、死者の親族(裁判例①)や、あるいは死者の親などから保護を引き受けた者(裁判例②)に限定されているように見える。他方、被害者を殺害した者であっても、こうした葬祭義務(や監護義務)を有しない限りは、なお不作為の死体遺棄罪が成立しない(18)

 このような判例・裁判例の傾向は、既に見た不作為犯一般の議論と共通する部分もあるが、異なる部分もある。特に重要な差異としては、殺人罪や保護責任者遺棄罪では、被害者の生命・身体に危険な先行行為を行った者についてもなお作為義務が肯定される(19)のに対して、死体遺棄罪については、被害者を殺害するといった先行行為があっても、それが作為義務を基礎づけない点である。その限りでは、不作為の死体遺棄罪の成立についてはより限定的な視点が存在するようにも見られる。

 このような差異は、死体遺棄罪の本質に基づくものであろうか。この点を検討するに当たっては、死体に対する罪に関する不作為犯の成否を巡るドイツ語圏各国の議論状況が興味深い示唆をもたらすものと思われる(20)。そこで、以下ではドイツ語圏各国における死体に対する罪を巡る議論状況を紹介することにする。

4 ドイツ語圏各国における死体を巡る処罰規定

⑴ドイツ語圏各国の条文と保護法益

 ドイツ刑法168条(21)、オーストリア刑法190条(22)、及びスイス刑法262条(23)は、いずれも死者の安寧・平穏を阻害する罪を規定する。いずれの国においても、死体等をその占有を保持する権限ある者から奪取する(又は引き離す)罪(死体奪取罪)と、死体等に冒涜的な行為を行う罪(死体冒涜罪)とが併せて規定されている点が特徴的と言える。他方、我が国のように、死体等を損壊する行為や遺棄する行為をそれ自体として処罰する規定は存在しない。

 なお、ドイツ語圏各国においては、これらの罪の保護法益は、我が国と同様に死者に対する一般の敬虔感情であるとされている。そして、こうした敬虔感情を考慮するに当たっては、死者の人間の尊厳や死者の人格権といった個人的法益に属する要素も併せて判断されている(24)

⑵不作為による死者への冒涜?

 以上で見たように、ドイツ語圏各国と我が国とでは、死者に対する一般の敬虔感情を保護する罪を有する点では共通するが、その罪が規定する行為態様は大きく異なる。ドイツ語圏各国における死体冒涜罪は、死者に対する敬虔さを著しく欠く粗野な行為、すなわち、死者に対する侮蔑を明確にし、死者を愚弄するような行為を処罰対象とするものである(25)。したがって、死体を物理的に損壊する行為や遺棄する行為、例えば、ドイツの判例で問題となった事案のように、目立たずに運び出すために死体を切断するような行為であっても、当該行為が死体に対する侮蔑的な性質を有していない限りは、なお死体に対する冒涜としては処罰されない(26)

 死者に対する侮蔑を明確にし、死者を愚弄するような行為は、通常は作為によってなされるものであって、不作為によってなされることは基本的には想定しがたい。例えば、殺害した後に、死体をそのまま放置して立ち去るような行為は、それ自体としてみると、死体に対する侮蔑を示すような行為とは評価しがたいであろう。そして、本稿が検討対象とする、家族構成員が何らの弔いもせずに死体を放置するといった不作為についても同様である。その限りでは、不作為による死体冒涜罪の成立は基本的に否定されることになろう(27)

 しかし、死体に対する冒涜が不作為によってなされることがあり得ないわけではない。この点が明らかになったのが、以下で述べるスイスの事案である。本件では、山岳事故による犠牲者であるAの死体が、家族の依頼を受けた葬儀会社に搬送されたものの、当該会社の従業員は、大量の血液にまみれたAの死体を清めることなく2日間に渉って放置した。これに対して、スイス連邦最高裁判所は、死体冒涜罪(スイス刑法262条)の成立を肯定した(28)。すなわち、「死体を清めない」という不作為であっても、死体に対する敬意を著しく欠いた行為であるとして、不作為の死体冒涜罪(29)が認められたのである。

 以上より、死体の冒涜は死体に対する侮蔑を明らかにする行為であり、通常は作為でなされることが想定されるものの、不作為によっても死体に対する敬虔感情を著しく欠くような粗野な取り扱いがなされることがあり得ないわけではないと結論づけることが可能である。このように、ドイツ語圏各国と我が国とでは、死者に対する一般の敬虔感情を保護法益とする点では共通するものの、かかる敬虔感情を害するような行為態様の規定に差異があり、かかる差異が、不作為犯の成立範囲に反映していると言える。

5 再び我が国の議論に戻って

⑴死者に対する敬虔感情を害する不作為

 死者に対する敬虔感情を保護するとしても、どのような行為がそうした敬虔感情を害する行為として想定されるのかは、国によって異なる。では、我が国においては、どのような行為が死者に対する敬虔感情を害する行為として想定されているのであろうか。

 我が国の刑法190条は、死体等の「領得」の他、「損壊」及び「遺棄」を規定する。しかし、既に検討したように、我が国において社会通念上認められた葬送である火葬が、それ自体として見れば死体を物理的に損壊させていることは否定し得ない。それにも拘らず火葬につき本罪の成立が否定される理由は、社会的に是認された方式による葬送の結果としての死体の物理的損壊は、死者に対する敬虔感情を害しないからであろう(30)

 このような理解からは、社会的に是認された方式による葬送を行わない結果として死体が物理的に損壊し、また、死体が放置されたままでいることは、死者に対する敬虔感情を害する行為であり、したがって、こうした葬送を行うべき者が葬送を行わないことは本罪による処罰の対象に含まれることになる。では、一体誰が葬送を行うべきなのであろうか。あるいは、先に検討したように、被害者を殺害するという先行行為を行った者にはなぜこうした義務が課せられないのであろうか。

 後者の疑問に対しては、例えば、交通事故の被害者からすれば、たとえ自分を轢いた加害者であっても、ひとまず病院に連れて行くことで死なずに済む以上、こうした救助義務を課すことが合理的であるのに対して、死体遺棄については、被害者を殺害した加害者によって弔われたとしても、およそ社会の死者に対する敬虔感情は充たされないとして、両者の違いを説明することも考えられる(31)。しかし、葬祭義務についてはこうした説明が妥当するとしても、監護義務については妥当しにくい。というのは、監護義務に関する前出の裁判例②を見れば分かるように、被告人に監護義務が肯定された事案においては、被告人自身が死者の葬送を行うことは期待されておらず、むしろ、他の葬祭義務を有する者に対して死体を引き渡す等の義務を負うに留まるからである(32)

⑵監護義務が限定される理由

 以上の理解からは、(故意または過失で)被害者を死亡させた者や、同僚と一緒に飲食をして共に店を出たところ、その同僚が自分の目の前で第三者によって殺害された者(33)に対しても、例えば警察に通報するなどして、死体が適切に葬祭義務者に引き渡されるようにする義務を負わせることは十分に可能であるようにも見える。それにも拘らず、このような場合にまで監護義務を肯定することが不当であるとすれば、その理由は何であろうか。

 率直に言えば、筆者にも確たる答えがあるわけではない。しかし、一つのあり得る理屈としては、葬祭義務がそうであるように、監護義務もまた、一定の家族的な関係(あるいは家族によって死体の監護を委託されたという関係)を前提とするものだとの考え方があろう。このように考えると、不作為の死体遺棄罪は、家族こそが死者を弔うべき第一次的な立場にあり、そのような立場にある者が適切に葬祭義務や監護義務を履行することを怠ったことを理由として成立するのだ、とまとめることができよう。

6 なぜ家族に葬祭義務が課されるのか

 最後に、なぜ親や子のような家族に葬祭義務が課されるのかについて検討したい。実は、法令において、葬祭義務を規定する根拠条文が存在するわけではない(34)。そのことを反映してか、判例・裁判例においても、親や子が葬祭義務を有する根拠として、既に検討したように、法令ではなく慣習に依拠するものが散見される。しかし、我々の多くは、親や子のような家族こそが、死者の葬送を行うべきだと考えているものと思われる。

 そして、このような感覚は、死体損壊等罪の保護法益である死者に対する一般の敬虔感情と連動しているように思われる。すなわち、死体が家族による適切な葬送によって弔われることが、死者に対する一般の敬虔感情を充足するという理解である。このような理解からは、家族が死体を弔わずに放置することは、死者に対する一般の敬虔感情を害する典型的な行為であって、不作為の死体遺棄罪を肯定すべきだということになろう。

 しかし、家族が死亡した後もなお、残された家族に葬祭義務が常に肯定されるのだとすれば、過度の負担になるような場合も想定し得るように思われる。例えば、配偶者によるDVや親による暴力などに長らく苦しめられた者に対してかかる葬祭義務を課すことは、当該配偶者や親が亡くなった後にまで、一定の繋がりを強いることにもなろう。家族が葬祭義務を負うとは言っても、当該家族が自ら死者の葬送を行うことが常に義務付けられるというわけではない。例えば、同居の家族が死亡した場合にも、他の親族や行政当局など、葬祭を適切に行い得る者にその旨を連絡すれば、不作為の死体遺棄罪は成立しないと解することができるように思われる。

7 おわりに

 死者が適切に弔われたと言えるか否かの判断は、時に困難を極める。今回は扱うことが出来なかったが、例えば「散骨」といった新たな方式の葬送をどこまで許容すべきか(35)は、「家族と刑法」という観点からも極めて重要な問題である。我々の社会においては、家族によって弔われることが多くの場合は期待されているが、家族によって「どのように」弔われることが期待されているのかは不明確な領域が大きい。本稿によって、こうした問題に対する読者の皆さんの関心が高まればと願う次第である。

(1)2017年の日本人女性の平均寿命は87.26歳である(厚生労働省「平成29年簡易生命表の概要」[2018年7月20日公表]2頁)。

(2)遺骨を全て骨壺に納めるか、それとも一部のみを納めるかは、地域によって違いがあるようである。

(3)裁判例において散見されるのは、出産後間もなく死亡した自分の子の死体を自宅内で放置する事案(例えば、大阪地判平成30・7・2公刊物未登載〔LEX/DB:25449610〕)と、自宅で死亡した同居の親の死体を(親の年金などをその後も受領し続けるために)自宅内で放置する事案(例えば、名古屋高金沢支判平成24・7・12公刊物未登載〔松下裕子「判批」警察学論集66巻5号(2013年)169頁以下参照〕)である。

(4)共同通信2018年11月5日版。

(5)他方で、後に検討するドイツ語圏各国では処罰対象とされている、死体に対する侮辱・凌辱的行為については処罰対象とされていない(なお、改正刑法草案242条2項はかかる規定を設けている)。

(6)西田典之(橋爪隆補訂)『刑法各論 第7版』(2018年)430頁、西田典之ほか編『注釈刑法 第2巻』(2016年)676頁(嶋矢貴之執筆)。

(7)松宮孝明『刑法各論講義 第5版』(2018年)429頁。

(8)例えば、鳥葬や風葬といった方式の葬送であっても、死者の生前の意思に合致する限りでは本罪の成立が否定されることになる。

(9)西田典之『刑法総論 第2版』(2010年)121頁以下。

(10)例えば、死体を切断する行為や死体を焼損する行為がこれに当たる(大塚仁ほか『大コンメンタール刑法 第3版 第9巻』(2013年)243頁(岩村修二執筆)。

(11)理論的には、葬祭義務者が死体を放置して腐敗させた場合には、不作為の死体損壊罪が問題とならないではないが、こうした腐敗については遺棄行為に包含されると解されている(名古屋地岡崎支判平成23・3・24季刊刑事弁護67号97頁)。

(12)大判昭和11・1・29刑集15巻30頁。

(13)最判昭和24・11・26刑集3巻11号1850頁。

(14)大判大正6・11・24刑録23輯1302頁。なお、注(3)で列挙した事案も参照。

(15)大判大正13・3・14刑集3巻285頁。

(16)仙台高判昭和27・4・26特報22号123頁。

(17)福岡高宮崎支判平成14・12・19高刑速(平14)184頁。

(18)大判昭和8・7・8刑集12巻1195頁。

(19)例えば、自分が引き起こした交通事故の被害者についても保護責任(作為義務)が生じるとされている(最判昭和34・7・24刑集13巻8号1163頁)。

(20)こうした観点からの検討を行うものとして、高等裁判所判例研究会「高裁判例研究 死体遺棄罪の成立する場合」判タ209号(1967年)59頁以下(藤井一雄執筆)参照。

(21)ドイツ刑法168条第1項 権利者の占有する死体若しくはその一部、死亡した胎児若しくはその一部、若しくは死者の遺灰を権限なく奪取した者、又はこれらに対して冒涜的な狼藉行為をした者は、3年以下の自由刑に処する。

(22)オーストリア刑法190条第1項 死体、死体の一部若しくは遺灰を処分権者から引き離し、埋葬所若しくは安置所からこれらを持ち去り、又は死体を虐待し若しくは死体、遺灰、埋葬所、安置所若しくは追憶所を冒涜した者は、6月以下の自由刑又は360日以下の日数罰金刑に処する。

(23)スイス刑法262条第1項 死者の安息所を粗野な方法で冒涜し、葬列若しくは葬祭を悪意で妨害若しくは冒涜し、又は死体を冒涜若しくは公然と侮辱した者は、3年以下の自由刑又は罰金刑に処する。

第2項 死体若しくはその一部又は遺灰を権利者の意思に反して奪取した者は、3年以下の自由刑又は罰金刑に処する。

(24)Lenckner/Bosch, in: Schönke/Schröder StGB Kommentar, 29. Aufl. (2014), Vor §§ 166ff. Rn. 2; E. Mayer/Tipold, in: Salzburger Kommentar zum StGB Band 4, 25. Lfg. (2011), §190 Rz. 7f.; Fiolka, in: Basler Kommentar zum Strafgesetzbuch II, Art. 111-392 StGB, 3. Aufl. (2013), Art. 262 Rn. 6.

(25)Lenckner/Bosch, a. a. O.(Anm. 24), §168 Rn. 10. 例えば死体を蹴りつける、死体に唾を吐きかけるといった行為は死体の冒涜に該当することになる。

(26)BGH NStZ 1981, 300. オーストリアにおいても、遺体を焼却して地中に埋める行為について、通常の死体の取り扱い(すなわち火葬)としてもこうした行為は広く行われていることを理由として、死体の「虐待」とは言えないとされている(vgl. Bachner-Foregger, in: Wiener Kommentar §§188-191 (2009), §190 Rz. 10)。但し、スイスにおいては、殺害した後の死体にガソリンを掛けて火をつけた事案で、死体冒涜罪の成立が肯定されている(BGer 6S.309/2003[du 09.10.2003])。

(27)やや専門的な話になるが、オーストリアでは、より理論的な観点から、オーストリア刑法190条が規定する犯罪は(不真正)不作為によって実現することはできないと解されている。すなわち、オーストリア刑法190条は単純挙動犯を規定するところ、不真正不作為犯の処罰を基礎づける規定である同2条では、あくまでも結果犯のみが対象とされており(結果発生を回避しなかったことが処罰対象とされる)、同190条には適用されないと解されている(E. Mayer/Tipold, a. a. O.(Anm. 24), §190 Rz. 142)。なお、ドイツにおいても、オーストリア刑法2条と同様の規定(ドイツ刑法13条1項)が存在するが、当該規定の解釈については、Stree/Bosch, in: Schönke/Schröder StGB Kommentar, 29. Aufl. (2014), §13 Rn. 3参照。

(28)BGer 6B_969/2009 (du 25.01.2010).

(29)スイス刑法11条1項は、義務に反する不作為によって犯罪がなされた場合も処罰を認める総則規定を置き、同2項で、義務の発生根拠として、法令、契約、危険の引受け及び危険の創出を規定する。

(30)嶋矢・前掲注(6)678頁参照。

(31)橋爪隆「判例講座・刑法総論 第2回 不真正不作為犯における作為義務」警察学論集69巻2号(2016年)123頁参照。

(32)嶋矢・前掲注(6)679頁参照。

(33)一緒に飲食をした同僚が第三者に重傷を負わされて立ち上がることができなくなったにも拘らず、これを放置して立ち去った被告人に対して、保護責任者遺棄罪における保護責任を肯定した事案として、岡山地判昭和43・10・8判時546号98頁。

(34)祭祀に関する権利の承継(民法897条1項)はあくまでも関連規定に留まる(松下・前掲注(3)175頁も参照)。これに対して、保護責任者遺棄(致死)罪については、親の監護義務(同820条)や直系血族・兄弟姉妹の扶養義務(同877条1項)といった法令上の根拠が援用可能である。萩野貴史「死体遺棄罪における『遺棄』概念に関する覚書」名古屋学院大学論集53巻4号(2017年)201頁参照。

(35)原田保「死体損壊・遺棄罪の成立範囲」愛知学院大学論叢法学研究46巻2号(2005年)24頁以下。なお、中日新聞2018年2月6日38面には、散骨が刑法190条に当たるか否かにつき、「省としての公式見解はない」との法務省担当者の発言が掲載されている。情報をご教示頂いた愛知学院大学の原田保教授に感謝申し上げる。

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