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連載

日本国憲法のお誕生

第8回 新憲法記念映画

法政大学名誉教授 江橋 崇〔Ebashi Takashi〕

 日本国憲法の普及活動の一環として、3本の映画が制作された。発端は憲法普及会会長の芦田均で、映画会社3社の社長を呼んで、「男女同権」「主権在民」「戦争放棄」のテーマを各社に割り振って、憲法施行の時期までに制作するように求めた。制作費用は憲法普及会が負担した。各社はこれを受けて一般の映画としても魅力があって興行的に成功するように鋭意努力して制作した。またこのほかに、児童用短編映画と記録映画も作られている。なお、昭和22年5月の理研映画社「文化ニュース」に「クランク進む憲法記念映画」として3社の映画の画像の一部が紹介されている。

「情炎」(松竹株式会社)

 この映画は、監督・渋谷実、脚本・久板榮二郎、主演・水戸光子、佐野周二で制作を開始したが、渋谷と久板の間に意見の対立が生じて久板が降板し、代わって池田忠雄、新藤兼人のシナリオで進行した。内容は、「男女同権」がテーマであるが、それを夫婦間の問題として、また家族制度の問題として描くものであった。当時の男女同権には、政治、家庭、社会(職場)でのそれがあったが、それの全体に配慮した久板の脚本とは違って、完成された映画はもっぱら家庭内の夫婦の愛情の軌跡を描くことに終始していた。記念映画の中では上映の機会が一番多く、興行的には成功したが、制作の趣旨が不鮮明で映画作品としては成功していないという批評もあった。

 この作品のフィルムのオリジナルは制作者の松竹に保存されておらず、制作した経緯の記録も不十分にしかない。当時は映画にもGHQの検閲があり、この映画も「戦争と平和」のように完成作品の一部が削除されている可能性があるが確認できない。

「壮士劇場」(大映株式会社)

 この映画は、監督・稲垣浩、脚本・八尋不二、主演・阪東妻三郎、入江たか子で制作された。割り当てられたテーマは「主権在民」であったが、実際は明治時代の自由民権運動を題材にしている。主張する所も分かりやすく、短期間の制作日数なのによくまとまっていたし、主演の阪東妻三郎、入江たか子の人気もあって興行として成功した。ただ、これは明治期の自由民権運動の再評価になっていても、それと日本国憲法の「主権在民」や「民主主義」がどう関係するのかはよく分からない。あるいは、現代の話で映画にすると「国民主権」が輝きすぎて「君民共治」が色あせるのを嫌ったのだろうか。この作品は後にビデオ化されて販売されたので、今でも鑑賞することができる。

「戦争と平和」(東宝株式会社)

 この映画は、演出・山本薩夫、亀井文夫、脚本・八住利雄、主演・池部良、岸旗江、伊豆肇で制作された。主題は「戦争と平和」だが、制作日数、経費などの面から戦争そのもの、戦闘場面は亀井の旧作品のフィルムをそのまま転用していて、新しく作られたのは、戦死とされていたのに生き残って復員した兵士とその妻、彼女が夫の戦死の通知以後に行った再婚の相手という三者のもつれた愛憎の関係を、いずれも戦争の被害者であるとして描くものであった。3社の映画の中では封切りが一番遅れて7月にずれこんでしまった。制作関係者が左翼、急進的で有名だった東宝労組の組合員だったのがGHQに不評で、検閲当局からの許可がなかなか下りなくて会社側は困っていた。注文主の憲法普及会もGHQの意向を知ってこの作品を冷遇して、検閲当局に自分たちもこの内容には不満であって支持できないと密告して弁解したり、3本の映画を作品完成後に買い上げて全国に貸し出したりしたのだが、「戦争と平和」は貸し出した回数がとくに少なかった。しかし一般の映画館での評判はよかったし、興行的にもうまくいったようで、映画雑誌『キネマ旬報』では高い評価を得ていた。この映画評を基礎情報にして平成年間に展開された東京国立近代美術館フィルムセンターの優秀映画鑑賞推進事業の一環に取り上げられて各地で再上映されていて、今日でも内容を知ることができる。

 この映画で敗戦後の社会生活を描いている場面は、同時代の風俗を一流の撮影技術を駆使して制作しているので、下手なドキュメント番組や後世のドラマ映画などでは到底及ばない迫力がある。ただ、当時パンパンと呼ばれていた売春女性が営業している場面やバンドの生演奏でダンスに興じるキャバレーの場面などには、当時は大のお得意様だった占領軍の軍人、兵士や「第三国人」の姿は一切なく、日本人のにわか成金たちの乱行しか描かれていない。この映画はGHQの検閲で30分以上カットされたと伝えられているが、戦闘的な左翼の映画人がこのような現実味のない場面にするはずはないので、占領軍関係者が登場していた売春や遊興の場面はGHQにカットされたと思われる。

「仲よし子よし」(ファースト映画社)

 この児童用の映画は憲法普及会が制作したものではなく、民間で制作されたフィルムを買い上げて利用に供しようとしたものであるが、都市の空襲被害が大きかった当時の社会事情では、映画館以外の場所での講演会や音楽祭、演劇祭などで上映することは、機材不足で容易ではなかったようである。そのために、この映画の利用はそれほど多くはない。フィルムは残存していない。

「新憲法の成立」(日本映画社)

 これはドキュメンタリー映画である。制作にあたって憲法普及会が深く関わったが、完成した後は、一般の映画館では上映できなかったのでほとんど活用されなかったようである。記録では憲法普及会本部事務局がフィルムを買い上げて外部に貸し出したのは全期間を通じてわずか4件であった。フィルムは日映アーカイブにある。

憲法普及会

 この連載では繰り返し憲法普及会の活動を取り上げてきた。このへんで、この団体についてまとめて説明しておこう。

 日本国憲法ができた当時、日本国民の多くはそれを理解できていなかった。国政の運営にあたる政府、中央官庁の役人も、新たに出発する地方自治体の首長や議会議員、職員も、民間のリーダーも、未来を担う学生も、急激な変化にはついていけていなかった。そして、そうした状況を理解していた政府は、日本国憲法の大規模な啓発、教育の計画を立てた。その要となったのが憲法普及会であり、1946年12月1日に同会が発足すると全官庁、自治体、報道機関、教育機関を挙げた一大啓発キャンペーンが行われた。今回紹介している映画制作もその一環であった。

 憲法普及会は、国権の最高機関となる国会(当時は帝国議会)の外郭団体としてつくられた。その会長は芦田均衆議院帝国憲法改正案特別委員会委員長、副会長は金森徳次郎憲法問題担当国務大臣、理事長は林譲治内閣書記官長、理事は衆参両院議員のほか、横田喜三郎、河村又介、宮沢俊義、清宮四郎、田中二郎らの東大系の教授を主軸に、京大出身で立命館大学総長の末川博、慶応大学の浅井清、在野研究者の鈴木安蔵、法制局長官の入江俊郎、言論人の岩淵辰雄、小汀利得、長谷部忠、山浦貫一で、実際の活動は事務局長の永井浩が統括した。永井は戦前の文部官僚で、戦争中は学徒動員課長で多くの学生を戦場に送った。戦後は官選熊本県知事になったが、さすがに戦争中の行動が批判されて公職から排除され、浪人してこのポストに就いた。憲法普及会の事務所は永井の実家のような東京虎ノ門の文部省内の一室に置かれた。憲法普及会は全都道府県に支部が置かれたが、京都府以外は支部長が都道府県知事であり、事務所も京都府以外は都道府県庁内に置かれ、事務は自治体職員が業務として担当した。

 日本国憲法は国民主権の憲法であるが、実際に日本国民が関与して作りあげたものではなく、その賛否を問う国民投票も行われていない。それに代えて、政府が、上から国民に主権者であることを啓発するという逆転した関係が生じた。また、事務局長が元文部官僚であり、協力した研究者は圧倒的に東大系であり、用紙なども不自由であった当時だが優先的な割り当てを受けて東大系の教授が繰り返し解説書、啓発書を出版した。また、全国各地での講演会でも、その地方の法学系の教授は起用されず、東大系の教授が出張して講師となった。中には、地方大学の民法学教授の大家を押しのけて東大法学部の助手加藤一郎が講師を務めることもあった。憲法普及会についてはしばしば半官半民の団体といわれるが、正確には半官半東大の団体であったし、この団体の活動への協力を通じて東大系憲法学の覇権が確立した。これについてはもう一度別枠で扱う。

 憲法普及会は、1年間と予定されていた活動期間の満了に伴い、1947年12月に解散し、その活動は後継の「憲法普及協会」に引き継がれた。憲法普及会の活動は160ページの『事業概要報告書』に詳細に記録されていて、歴史の研究者はこれを信頼して好個の史料として重要視してきた。ただ、この連載で紹介している記念グッズ、祝賀グッズとその周辺に照らしてよく見ると、『事業概要報告書』でのいかにも官僚らしい誇大な報告、事業成果の自賛が目に付く。例えば啓発パンフレット『新しい憲法明るい生活』を2000万部作成して全世帯に配布したとか、盆踊りで100万人以上が憲法音頭を踊ったとか書かれているがこの規模の活動の痕跡は見つけられない。少なくとも数十万部制作したはずの点字版の日本国憲法もどこにも残っていない。この報告書を資料として学問の世界で用いるには、書かれていることが虚構ではないか、針小棒大にすぎるのではないか、他の史料とも照合して慎重に資料批判をする必要がある。

 

 訂正・前号の憲法施行記念切手の紹介で、図案の原案となった公募作品を「女児を抱いた婦人と議事堂」と表記したが、当選作は「無題」で、これは逓信省による完成版の意匠の説明文である。言葉も逓信省告示(第152号)によれば「幼児を抱いた婦人に議事堂を配したもの」である。事実確認の不十分さをお詫びして「女児」を「幼児」に訂正させていただきたい。

 

 補足・この連載が契機になって、平成29年5月3日のTBSの憲法特番で「新憲法漫画いろは歌留多」が取り上げられた。テレビ局による現地調査で、カルタを制作した能代第二中学校では全校生徒(約1000人)に配布していたことが分かった。この規模は壮挙であり記録に値するので追記とさせていただく。

 補足2・同じく平成29年5月3日のNHKテレビ「ニュースウオッチ9」で「情炎」のシナリオ発見をめぐる報道があり、この映画が詳しく紹介された。これを機会に幻のフィルムの発見が期待される。

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