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書斎の窓

巻頭のことば

リーガル・リテラシーの諸相

第6回(最終回) 考える

中央大学大学院法務研究科教授・弁護士 加藤新太郎〔Kato Shintaro〕

 法律実務家が「考える」ためには、何が必要か。研究者の学会デビュー論文では、そのテーマについて外国法研究・沿革的研究もするのが定石となっている。外国法研究の意義は、伊藤眞先生により、①より進んだ制度・議論を学んで参考にするため、②自国の制度・手続を相対化するため、③権威づけのため、という本音と諧謔が相半ばする秀逸な説明がある(住吉博ほか「座談会 これからの民事訴訟法学」ジュリスト655号174頁[伊藤発言]〔1979年〕)。また、歴史的研究は、現行の制度と距離を置き、これを絶対視しないで、相対的に、柔軟にみるという利点が伴うといわれる(鈴木正裕「争点整理の方策について」『改革期の民事手続法』274頁〔法律文化社・2000年〕)。なるほど、広く世界を見渡し外国法を、時間軸を遡って歴史を学べば、わが国の現在の制度を相対化する柔らか頭になって考えることができるのだ。これは、法律実務家にも参考になる。

 そこで、日米法学会判例研究会に顔を出すと、「雇用差別訴訟において勝訴した被告会社が自己の代理人弁護士費用を補填的に補償してもらうための要件としての勝訴は、本案判断が認容される場合に限定されない」旨判示したCRST Van Expedited, Inc. v. Equal Employment Opportunitty Commission, 136 S.Ct.1642(2016)が報告されていた。米国もわが国と同様に弁護士費用の訴訟費用化はされていない(いわゆる「アメリカン・ルール」)が、公民権侵害について裁判を受ける機会を保障するため、その種の訴訟で勝訴した者に弁護士費用を補償する場合を特別法で定めており、その要件の解釈が争点となったケースだ。彼我で制度は異なるが、弁護士費用を援助する趣旨と要件論、当てはめのロジックはよく理解することができた。柔らか頭に近づいた気がしないでもない。

 法律実務家は、当面する「いま・ここ」にある問題を徹底的に考え抜くことも必要だ。例えば、職権進行主義原則の下における民事訴訟の手続選択上の裁量は必然的なものであるが、手続運営の責任者である裁判官は、そこでの恣意を排除しようと考える。それは、個々の場面に止まらず、「民事訴訟上の諸要請を満足させるために効率的審理を目標として、事案の性質・争点の内容・証拠との関連性等を念頭に置き、手続の進行状況、当事者の意向、審理の便宜等を考慮し、手続保障にも配慮した上で、当該場面に最も相応しい合目的的かつ合理的な措置を講じる」手続裁量として概念化するに至る。裁量を発揮すべき問題状況に応じた考慮要素を抽出し、その優劣を考えて、行動準則を設定し、裁量を有効に機能させつつ制御していけば、透明性の高い訴訟運営が実現できるのである(大江忠=加藤新太郎=山本和彦編『手続裁量とその規律』〔有斐閣・2005年〕)。

 法律実務家が考え抜いた結果は、バランス感覚と方向感覚とで支えられているはずである(中村治朗『裁判の世界を生きて』427頁〔判例時報社・1989年〕)。バランス感覚は、解釈や当てはめに随伴する価値の比較考量において、各価値にふさわしい比重を与え、その間に絶妙なバランシングが施されていることであり、方向感覚は、規範が動いていくべき方向を先取り的にキャッチする直感だ。中村判事は、これらを裁判官の能力として論じ、方向感覚についてはその方向と考えるものと裁判とを無媒介的に結び付けることのリスクも指摘する。この点は、司法判断における謙抑性から理解することができる。しかし、法律実務家のカバーすべきフィールドは拡がっており、法規範の形成は休むことを知らない。そうであれば、方向感覚における謙抑性も、現代では緩和されるべきかもしれない。

 判事補の頃、畏敬すべき先輩M判事に、「法律家としてよい仕事をしていくための要締は何か」と尋ねたことがある。誠に青臭い質問で、あしらわれることも覚悟した上でのことだ。M判事は、少し間を置き、答えてくれた。「自分の持てる時間を惜しまずに費やせるかどうかではないか」。爾来、持てる時間を惜しむことなく考え抜くことこそが、リーガル・リテラシーであると心得ている。

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