HOME > 書斎の窓
書斎の窓

連載

お墓事情と墓地法制

第4回 オーストリアの墓地と墓地法制

大阪大学高等司法研究科准教授 片桐直人〔Katagiri Naoto〕

ウィーン中央墓地32A区画。奥にみえる3基の左からベートーベンの墓,モーツァルトの記念碑,シューベルトの墓。ちなみに,ベートーベンとシューベルトの墓は,当初別の墓地にあったが,中央墓地開設後にここに移された。

「ベートーベンと墓友に」

 オーストリアのウィーンには、数多くの観光スポットがある。そのうちのひとつ、ウィーン中央墓地には、モーツァルト、ベートーベン、ブラームス、サリエリ、シューベルト、ヨハン・シュトラウス父子といった名だたる音楽家の墓や記念碑があり、我々のような法学研究者にはなかなか訪れる機会がないが、日本からも多くのクラシック音楽愛好家が訪れているようである。

 1874年に開設されたウィーン中央墓地は、ヨーロッパ有数の規模を誇り、およそ2.5㎢の広大な敷地の中に約33万の墓が存在している。ここに、2011年、日本の葬祭業者が墓の使用権を確保し、販売しはじめたことが報道された。これを取材した『週刊朝日』2014年11月14日号には、「ウィーンに埋葬されることは、音楽愛好家には憧れで、お金には代えられない価値があります。ウィーンに埋葬されることを自分のステータスと考え、余生の潤いにもつながるはず」という葬祭カウンセラーのコメントとともに、「楽聖たちと〝墓友〟になって永眠、確かに音楽好きにはプライスレスだろう」という記者の感想が添えられている。残念ながら筆者はその方面に明るくないけれども、それでも、このたび調査で訪れて、あの緑豊かで広大な墓園に静かに眠るのは魅力的に感じられた。

オーストリアの墓地埋葬と法

 連邦国家であるオーストリアは、その性格上、憲法によって連邦と各州との間の権限分配が定められている(オーストリア憲法の概略は、国立国会図書館調査及び立法考査局『基本情報シリーズ⑨ 各国憲法集(3)オーストリア憲法』(2012年)などを参照いただきたい)。埋葬やそれと一体となる検死、死亡届などに関する制度は、連邦憲法10条1項12号により、州の立法管轄だとされている。オーストリアには、都市州であるウィーンも含めて9つの州があるから、墓地・埋葬に関する法律も州ごとにひとつづつ、あわせて9つの法律が存在することになる。また、墓地の経営は、ある種の営業に当たるとされ、営業令による規制を受けるほか、文化財保護に関する法令や環境保護に関する法令によっても規制される。

 それぞれの州の墓地埋葬法制は、その骨格をおおよそ同じくしており、検死、解剖、死亡届、遺体移送、遺体安置期間、埋葬義務、墓地の種類や運営、埋葬方法などの規定がひとつの法律にまとめられているのが通常である。我々が主に調査を行ったウィーンの遺体埋葬法(Wiener Leichen- Bestattungsgesetz〔WLBG〕)も同様の規定がある。もっとも、我々がインタビューを行ったオーストリア連邦競争庁のBeatrix Krauskopf氏によると、各州法における用語法(例えば、遺体の概念など)や自然葬への対応などには州ごとの違いがみられるとのことであった。

オーストリア連邦競争庁にて。左から大石教授,Krauskopf氏,重本准教授,片桐。

 さて、以下ではWLBGについて簡単にみておこう。WLBGは、埋葬方法として、土葬と火葬のみを予定している(19条4項)。それぞれの方法につき、29条以下で実施方法が詳細に定められているが、どのような埋葬方法を選択するかは、まず、故人の生前最後の意志に従うこととされ、それが確認できない場合は埋葬を行う者が決定することとされている(28条2項)。

 埋葬場所として、WLBGは、墓地(Bestattungsanlagen.遺体を埋葬する場所のほか、遺灰の埋葬のための専用の区画もここに含まれる)、家族などのための私的墓所(Privatbegräbnisstätten. 当局の特別の許可が必要である)を予定する(20条など参照)。オーストリアでは、遺体は必ずどこかの墓地に埋葬しなければならないという意味で、埋葬強制という考え方がとられており、これらの規律もこの考え方にもとづくものであるといえる。もっとも、2013年のWLBG改正により、一定の条件の下で遺灰を入れた壺(Urnen)を墓地以外の場所に保管することも許されることになった(25a条)。この結果、当局の許可があれば、遺灰の入った壺を家に保管することも可能になっている。

ウィーンの墓地

 墓地は、ウィーン市が設置し、ウィーン市は、市内で死亡した者や同市に生前最後の住所を有していた者に埋葬場所を提供しなければならない(21条1項)。ただし、ウィーン市は、これらの義務や墓地の管理を第3者に委譲できるとされており(同条2項)、現在では、ウィーンの墓地に関する事業は、ウィーン市に代わって、ウィーン墓地会社が行っている。この会社は、冒頭に紹介したウィーン中央墓地のほか、私的墓所や後述の信仰墓地を除く、ウィーンにある46の墓地を管理・運営している。

 ところで、オーストリアでは、19世紀以後、人口が増加し、衛生問題なども発生する中で、墓地提供が自治体の義務であると考えられるようになったが、歴史的には、それ以前から、教会が墓地を提供してきたという背景がある。教会が提供する墓地は、現在でもみられ、自治体が提供する公営墓地(kommunalle Bestattungsanlagen)と区別されて、信仰墓地(konfessionelle Bestattungsanlagen)と呼ばれる。オーストリアでは、ある墓地が信仰墓地か、公営墓地かがしばしば行政裁判で争われ、行政裁判所の判例法理によると、大略、公営墓地が、あらゆる死者がその信仰とは無関係に使用することができる公の営造物であるのに対して、墓地を提供する教会ないし宗教団体に所属する人だけが埋葬場所として使用できる区域が信仰墓地だとされているようである。

 オーストリアはある種の公認宗教制を採用しており、カトリック教会や福音派教会、ユダヤ教団、イスラム教団体などが「法律によって認められた教会または宗教団体」として位置づけられ(国家基本法15条参照)、その自律権が高度に保障されているほか、私立学校の設立運営などの特権が認められている。信仰墓地の維持管理についても同様で、当該教会または宗教団体の自律事項とされている。なお、オーストリアでは、お墓にお参りすることは権利だと把握されており、墓所は、すべての人が墓参できるようにしなければならないと考えられている。このことは、信仰墓地でも同様である。

 墓地の使用者は、墓地管理者との間で、墓地使用契約を結び、墓地使用権を獲得する。これまでの連載でも指摘されたように、多くの国では、法律上、最低埋葬期間が定められており、オーストリアの多くの州の埋葬法では、10年の期間が定められている。もっとも、ウィーンには、同様の規定がなく、埋葬後、半年を経過しなければ埋葬した遺体の掘り起こしは認められないという規定が置かれるのみである(WLBG18条)。ただし、ウィーン墓地会社の墓地利用規則によると、最低利用期間として10年が定められている(墓地利用規則20条1項)。もちろん、それ以上の期間にわたる契約も可能とされている(同規則21条1項)。ちなみに、冒頭言及した業者は、ウィーン墓地会社との間で、100年の使用契約を結んでいるとのことである。

業者が提供している墓。この足元に310基の骨壺が納められるスペースがあるとのこと。

出典:ワールド・ミュージックファン・セメタリ―株式会社HP

新しい埋葬方法とイスラム教徒の流入

 この連載でたびたび言及されてきたことだが、キリスト教の影響が強いヨーロッパ各国では、伝統的に土葬が中心であったところ、火葬を選択する例が増えつつあり、各国の法制にも火葬の規定が置かれるなどの対応がなされている。このような火葬への対応以外にも、ヨーロッパ各国では、埋葬方法の多様化の問題が様々に議論されている。

 その背景には、本稿筆者がみるに、2つの流れがあるように思われる。ひとつは、社会の個人化を受けた、樹木葬や散骨などの自然葬をはじめとした新しい埋葬方法への対応(このほか、ドイツやオーストリアではしばしば遺灰を高温で処理してダイヤモンド化する方法を巡って議論されている)の問題である。この論点は、とりわけ、故人や遺族の決定の自由との関係で問題となる。国によっては、法改正により対応しているケースもみられ、オーストリアでも、自然葬へ対応するための法改正を進めている州がある。

 ふたつ目として、イスラム教徒をはじめとする埋葬に関する文化・風習の違う人々への対応である。そして、近年のヨーロッパ各国におけるイスラム教徒の増加は、墓地埋葬に関する法的規律のあり方にも重要な問題を投げかけている。その一例として挙げられるのが、遺体安置義務の問題である。遺体安置義務とは、死後、遺体埋葬までに一定期間をあけなければならない義務をいい、オーストリアを含め、ヨーロッパの多くの国で、法律上、死後24時間ないし36時間以内の埋葬が禁じられ、定められた場所での遺体の安置が義務付けられている。ところが、イスラム教徒の場合、教義上、むしろ24時間以内に埋葬をしなければならず、この遺体安置義務と衝突する。このような問題についても、ヨーロッパ各国で議論がなされており、立法的な対応もなされようとしている。

 わが国でも、第1の流れについては、すでに議論がなされつつあるところである。我々の調査・研究もこの点を意識して始めたものであった。しかし、考えてみれば、すでにわが国にも相当のイスラム教徒が暮らしている。問題はそれを可視化する視角を伴わなければ発見されないことはよくあることだが、第2の流れを認識した後では、こちらも気になるところである。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016