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連載

日本国憲法のお誕生

第4回 政府発行の公布記念品

法政大学名誉教授 江橋崇〔Ebashi Takashi〕

日本国憲法公布記念章牌

 日本国政府は、1946年11月3日の日本国憲法公布を記念する記念グッズを制作、配布した。これは一般にも販売もされた。かつて明治22年(1889年)2月11日の大日本帝国憲法発布ではこうした国民向けのグッズは制作、配布されていないので、一般国民向けに記念品を制作するという試みは国民主権の新憲法らしい新企画であった。記念品は4種類あり、いずれも造幣局で制作された。

 1つ目は、「日本國憲法公布記念章牌」である。これは、径55ミリ、厚さ4ミリの円形をした青銅製の章牌である。表面に「日本國憲法公布記念」とあり、朝日と国会議事堂を背景にした鶏の母鳥とひよこが描かれている(作者は宮島久七)。裏面には波模様を背景に芽吹きの苗木が描かれ、1946と西暦で年代が表示されている(作者は木田文雄)。表面右下隅に「造幣局製」とあるがそれ以外には、製作者や発行者に関する記載は一切ない。日本国憲法は「昭和二十一年」に公布されたと文言上でも明示されているのに「一九四六年」と言い直しているあたりに当時の日米関係の空気が感じられる。

 これは縦86ミリ、横86ミリ、厚さ19ミリの桐の木箱に納められた。木箱の表面には「日本國憲法公布記念」「造幣局製」という金文字が捺されている。造幣局の記録によれば、約1万個販売され、販売額は28万円とされている。この中には国や自治体が買い上げて関係者に贈った物も相当あったと思われるが、一般に頒布された場合は、これに実際の販売者の手数料や利益を加えて販売されたであろう。

 この章牌の表面の図柄は鶏の母鳥とひよこであり、背景に国会議事堂と朝日がある。母鳥は議会制民主主義を教えるGHQでひよこは教わる日本を想像させる。裏面もGHQの考えに沿って新しい日本の芽生えを表現している。発行者が日本政府であることがどこにも記載されていない。まるで主権者となった日本国民が自分たちの憲法の制定を喜んで自主的に制作したもののように演出されている。どうやらこれは日本政府の発案ではなく、GHQの強い指導、命令の下に制作されたものだろうと推測される。それにしても母鳥とひよこの図柄を喜ばしいことと感じるあたりに、当時の日本政府関係者の挫折と反省、自信喪失の気持ちが素直に出ていると思われる。

上段右からメダル・章牌・帯留め。

下段はいずれもブローチ。

日本国憲法公布記念メダル

 2つ目は「日本国憲法公布記念メダル」である。これは、径37ミリ、厚さ2ミリの円形のメダルである。上部に吊り下げのための環が付いている。材料は、造幣局の記録上は青銅とされているが、品質にはばらつきがある。表面には「日本國憲法公布記念」「1946」「造幣局製」とあり、朝日を背景にして憲法の平和主義を表して鳩が描かれている。裏面は中央に議事堂が描かれ、四周に工業、農業、水産業、文化を表すデザインが描かれている(小柴利孝作)。復興と文化国家の建設が訴えられていることになる。このメダルは、造幣局の記録では約2万3千個販売され、販売額は約30万円だった。

メダル表

メダル裏

 これは、縦70ミリ、横53ミリの紙包みの外装で販売された。紙包みは紺色の地色に横縞模様で繰り返し白い鳩とめでたい瑞雲が描かれている。この包み紙にはNIPPON KOKU KENPO KOFU KINENという文字の地模様があり、その上に、「日本國憲法公布記念」「造幣局製」と金文字で縦に印刷されている。

 上に紹介した章牌は民主主義の夜明けをあらわしていたが、このメダルは、平和主義の国家を象徴する鳩と、工業、農業、水産業、文化を中心にした新社会、文化国家の建設が描かれている。章牌と同様に、発行者である日本国政府が明らかになっていないことや昭和という年号が入っていないこと、そしてなぜか包装紙にローマ字表記があることなど、ここにもGHQの強い指導がうかがわれる。

 「日本國憲法」を「にほんこくけんぽう」と読むのか、「にっぽんこくけんぽう」と読むのかは憲法制定議会の当時から問題になっていたことであり、戦前の栄光を忘れられない保守派の人々は元気の良い「にっぽんこく」を好み、戦前との断絶と戦後の新出発を願う革新派の人々は柔らかい「にほんこく」を好んだ。政府は、どちらでもよいという答弁をしていたが、昭和天皇は「にっぽんこくけんぽう」と読み、現天皇は「にほんこくけんぽう」と読んでいる。このメダルの包み紙上の表記は「NIPPON KOKU」でその後も切手などは「NIPPON」である。なるほど、ローマ字にするメリットはここにあったのだと日本政府の巧妙な細工に感心する。なお「NIPPONKOKU」を「NIPPON KOKU」と分かち書きにしたのは他に例のない珍しい表記であり、「公布」が「KOHU」ではなく「KOFU」であることも含めて、図案家の好みがそのまま残ったように思える。

日本国憲法公布記念ブローチ

 3つ目は「日本国憲法公布記念ブローチ」である。これは、45ミリ×35ミリの丹銅製、七宝細工入りのブローチである。表面には2羽の鳩が描かれている(辻蓊介作)。もちろん、これは平和主義を表している。2羽の鳩の羽の色の組み合わせはさまざまで、赤色と白色の組み合わせ、緑色と白色の組み合わせ、紺色と白色の組み合わせの3パターンが確認されている。ブローチには発行の趣旨も、発行者名も記されていない。わずかに裏面に造幣局の製造であることを示す刻印があるだけである。造幣局の記録によれば、約11万個販売され、販売額は約31万円だった。これは縦77ミリ、横63ミリ、厚さ18ミリの桐の木箱に納められて販売された。箱の表面に「日本國憲法公布記念」「造幣局製」との記載があるが、一度この外箱から離れるとブローチが日本国憲法公布記念であることが分からなくなってしまう。

 このブローチは、次に紹介する帯留めとともに、もっぱら女性向けに制作されたものである。男女同権は主権在民、平和主義と並ぶ日本国憲法第三の柱と言われることもあったし、すでに前年の衆議院議員選挙法改正で女性の選挙権、被選挙権は実現されていて、実際にこの年4月の総選挙で39名の女性議員が誕生し、日本国憲法についての衆議院の議決に参加している。そういう時代の風が吹いていたからであろうか、政府が女性向けの記念品を制作、販売するのは前例のない革新的な企画であった。但し、これに対応する男性用品は制作、販売されていない。男女平等といっても、男女が平等に「相互の協力により」社会的責任、家庭的責任を果たす「男女共同参画」のイメージにはまだまだ距離がある。

日本国憲法公布記念帯留め

 4つ目は「日本国憲法公布記念帯留め」である。これは、前記のブローチと同じ丹銅、七宝細工、2羽の鳩の図柄でできているもので、大きさもデザインも同じである。違いは、裏面にブローチの場合は安全ピンが付き、帯留めの場合は紐を通す環が付いているという点だけである。これは、造幣局の記録では約2千個余りが販売され、販売額は約6万円であった。なお、この帯留めの現存品はとくに少なく、赤色と白色の鳩が組み合わされているものしか確認されていない。制作個数が少ないことからすると、一種類の物しか作られなかっただろうか。

 日本国憲法制定当時のニュース映画の映像や新聞、雑誌類の写真を見ると、まだまだ和服姿の女性が多く登場している。日本国憲法の平和主義を意味する帯留めを制作したあたりにも、当時ならではの時代の空気が感じられる。

 以上が日本政府の制作した記念グッズである。このほかに、逓信省の管轄で、記念切手やはがきが発行されているが、それについてはのちに扱おう。これらの記念グッズを全体としてみてみると、政府が考えていた日本国憲法の基本原則は、GHQに指導される議会制民主主義、産業復興と文化国家の建設、戦争放棄と平和主義であることが分かる。女性の尊重もある。他方で、基本的人権に対する無理解と、地方自治の無視が目立っている。

憲法公布記念バックル

 今回のおまけは公布記念の奇妙なバックルである。縦35ミリ、横47ミリの黄銅製のもので、制作者、発行者は不明である。表面に、「憲法公布記念」と書かれており、「21.11.3.」と昭和の年号表記がされている。そして、表面の中央に径23ミリの赤銅色の円盤がはめ込まれており、そこに図柄として鳳凰と菊花、それに機関車の動輪が描かれている。蒸気機関車の動輪がデザインされているので、当時の国鉄関係で制作されたものではないかと推測されるが、「鳳凰と菊花」は天皇制のシンボルであるから、主権在民の日本国憲法の記念品としてはいかがなものであろうか。昭和の元号表記にもこだわっており、何とも大胆な保守派の作品である。GHQに見つかれば厳しく叱られたことだろう。

バックル

憲法施行記念メダル

 もう1つのおまけは、憲法施行記念のメダルである。日本国憲法は公布の翌年、1947年5月3日に施行されたが、この日には、もはや政府が記念グッズを制作、配布する熱意はなかった。だが、民間ではそういう企画があった。憲法普及會富山縣支部が制作したメダルはその一例である。これは鉄製で径32ミリの円形で、吊り下げ用の環が付いている。表面には富山県だから北アルプスであろうか、山脈と瑞雲を背景にして国会議事堂が描かれていて、桜花が裾模様になっている。国会議事堂は高層ビルディングのような奇妙な形だが、議事堂竣工後まだ日が浅かったのだからこうした誤解もやむを得まい。裏面には、政府が発行した「日本國憲法公布記念章牌」と同様に、芽吹きの苗木が描かれている。なお、裏面には「1947 5.3」とあり、昭和の元号は依然として避けられている。

憲法施行記念メダル表

憲法施行記念メダル裏

消えた元号法案

 大日本帝国では皇室の家法であった旧皇室典範は、日本国憲法第二条で「国会の議決した皇室典範」と国家法に改めることになり、新憲法の施行に合わせる憲法付属法の一環として新しい「皇室典範」が準備された。ただ、その際に、一世一元の年号の法的根拠を定めていた第12条「践祚ノ後元号ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ従フ」は、皇室の事項ではなく国家の事項なので切り離して単独の法律とすることとなり、1946年11月に「元号法」政府案が閣議決定され、枢密院の審議に回された。

 ところが、これと並行してGHQ民政局に同法案の許可を求めたところ、GHQ担当者は、元号の使用が日本国民に常に天皇を想起させるとして強烈に非難して、すでに長年使用されてきた昭和という年号を使用することは慣習として認めたものの、元号に法律上の根拠を持たせることはいっさい認めなかった。GHQはさらに、この件での交渉そのものを歴史から消滅させ、全関係書類を廃棄することを命じた。政府はやむを得ず同月に閣議決定を撤回して、枢密院で始まった審議も取り消し、いっさいを封印した。そのためにこうした経緯は長く秘密とされており、ずっと後になって、この件でGHQとの交渉にあたった佐藤達夫が政府の憲法調査会で証言して関連資料を明らかにするまで、1946年に元号法案が構想された事実も、法案の内容も、日米交渉のあり様も分からなかった。「昭和」は法的な根拠のない「事実としての慣習」にとどまっていたが、1979年に「元号法」が制定され、附則第2項で法的根拠が追認された。

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