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書斎の窓

巻頭のことば

リーガル・リテラシーの諸相

第1回 事実を調べる

中央大学大学院法務研究科教授・弁護士 加藤新太郎〔Kato Shintaro〕

 東京高裁民事部での6年間の勤務を最後に依願退官した。高裁といえば、物音1つしない静かな裁判官室で、鹿爪らしい年寄りの裁判官がから咳をしながら鼻水をすすって記録を読み継ぎ、たまに出る話題は持病のことばかりというイメージを持たれているが、実はそうではない。控訴事件はもちろんのことであるが、簡易裁判所が一審の上告事件(長官代行部)、抗告事件も保全、執行、倒産、家事(輪番)のすべてが係属するし、海難事件や独禁法関係事件、日弁連弁護士懲戒の裁決取消請求など東京高裁が一審で専属管轄となる事件もあり、民事裁判官の仕事としてはまさしく集大成ということができる。自分は、この6年間のために修練を積んできたのだと得心できるほど充実した毎日であった。

 経歴での特色は、司法研修所勤務が長かったことだ。40年勤務したうち前後合わせて14年。実に、3分の1であり、3日に1日は司法研修所に通っていたわけだ。二部の民事裁判教官、事務局長、それから間を置いて一部(裁判官研修)教官を務めた。やや誇張して言えば、司法修習生が一人前の法律実務家として活躍していくために獲得すべき能力の内実は何か、裁判官が持てる力量を最大限に発揮することができる条件はどのようなものか、といった問題を始終考えていた。それを研修企画に結びつけるのは試行錯誤の連続で、「思考」錯誤に陥る自らの無能を嘆くあまり枕を涙にぬらした夜もあった。

 法律実務家として日常的に行う「調べる」、「考える」、「思いつく」、「説明する」、「解釈する」といった事柄を、臨機応変、融通無碍に上手くできること、つまり、リーガル・リテラシーを会得し実践することが、大切ではないかと思うに至った。今回から6回にわたり、その内実を、エピソードに仮託して語ることにしたいと思う。今回は、「事実を調べる」である。

 Y弁護士は、親子関係不存在確認請求訴訟を受任した。現在では、その立証にはDNA鑑定を考えることになろうが、昭和50年代の話である。訴訟代理人としては、被告の昭和16年の出生届けが虚偽のものであったという立証をしなければならない。どうしたらよいものか。

 まず、関係者から事情を聴く。すると、老婆が、新聞で「子供差し上げます」という広告を見て、新潟から朝早く立ち汽車で上京し、上野で産婆さんから子供を貰ってきたと言う。どのようにして、その裏づけをとるか。Y弁護士は、国会図書館で被告の戸籍記載の出生日の前後の新聞をマイクロフィルムで検索し、件の広告の掲載をチェックした。朝日、読売、東京日日(現毎日)のいずれにも見当たらない。通いつめて1週間後、最後に報知新聞で、遂に「子供差し上げます」の広告を発見した。次に、産婆の実在をどう証明するか。Y弁護士は、逓信博物館(大手町)で、昭和16年の電話帳に産婆の住所と名前が載っているのを見つけた。さらに、交通博物館(御茶ノ水)で、鉄道省(当時)の時刻表を調べ、新潟・上野間で朝6時に出ると1時半過ぎ頃に上野に着く汽車を確認することができた。老婆に告げると、その汽車には食堂があったという。しかし、時刻表にレストランマークは付いていない。係員に尋ねると、「二等車には客車の隅にビュッフェが付いていたので、それを食堂と考えたのではないか」との返事を得た。Y弁護士は、被告を貰い受けたと言う老婆の供述を、ことごとく裏付けることに奏功したのである。

 Y弁護士の「調べる」は、一見荒唐無稽にも思われる「子供差し上げます」という新聞広告を見て子供を貰ったという、関係者の話を信じることからスタートした。この事実を裁判官に認識させるには、裏付け証拠が必要である。Y弁護士は、賢明にも新聞広告を求めて国会図書館に、電話帳を確認するために逓信博物館に、時刻表を調べるため交通博物館に赴いた。既存のリソースの利用を思いつき、驚嘆すべき忍耐力をもって調べ上げ見事な成果を上げたのだ。

 Y弁護士こそは誰あろう、若き日の山浦善樹最高裁判事その人である(加藤新太郎編『民事事実認定と立証活動Ⅰ』145頁〔山浦発言〕)。

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