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書斎の窓

自著を語る

『はじめての国際経営』(有斐閣ストゥディア)

「バランス感覚の養成」という裏糸

大阪大学大学院経営学研究科准教授 中川功一〔Nakagawa Koichi〕

中川功一,林正,多田和美,大木清弘/著
A5判,232頁,
本体1,800円+税

 国際経営の本質は、相反する2つ(以上)の要素のバランスを取ることにある。

 国際経営の重要問題のひとつに、海外子会社の自律と統制の問題がある。多国籍企業の海外子会社が、現地の状況に応じた柔軟な経営を行っていくためには、子会社側に意思決定権限を与え、自律的に判断させたほうがよい。しかし、子会社が自律的に判断をしていくとなると、本社の意図とは異なった経営をするようになってしまう恐れがある。そうしたリスクを避けるには、本社側が意思決定権限を握り統制を行うべきだということになる。あるべき自律性の程度は、子会社の経営能力や業務内容、求められている役割などによって変わってくるため、一概にどちらがよいと結論することはできない。

 商品のほうに目を向ければ、本国ブランドか現地開発商品か、という問題もある。エースコックはベトナムにおいて、現地ニーズに合わせた独自開発商品「ハオハオ」を販売し、50%を超えるシェアを獲得している。一方で、コカ・コーラは世界中200カ国以上で同一ブランドによる事業を展開し、ブラジル、インドネシア、ロシア、中国といった新興国を含む数十カ国でトップブランドとなっている。現地市場のニーズにこたえて修正・新規開発すべきなのか、グローバル・ブランドを維持したままで戦うべきなのか、これにも答えは出ていない。

 日本企業について言えば、固有の商慣行や組織文化――いわゆる「日本的経営」を維持したまま国際化するのか、それとも、欧米流のグローバル・スタンダードな経営スタイルを受け入れていくべきなのかは、避けて通れない重要な問題であろう。日本語、日本人中心、日本の考え方で構築されてきたビジネスが、固有の技術蓄積やものづくりの強みを生み出し、日本企業の20世紀の成長を支えてきたことは、まぎれもない事実である。だが、日本的な仕事の仕方は、海外では欧米のみならずアジア圏でもあまり受け入れられない。さらに近年では、経済の多極化とともに、欧米流のスタイルだけが正解なのではなく、各国の多様な経営スタイルに学ぶべきとの考えも広まってきている。こんな選択肢の森の中で、企業はいったい、どちらに向かえばよいというのだろうか?

 有斐閣ストゥディアから上梓させていただいた教科書『はじめての国際経営』は、まさにこうした「バランス」の問題に取り組んでみた一冊である。国際的に企業経営をすることの核心は、本社と子会社、ローカルとグローバル、日本と世界といった要素のあいだで、適切なバランスを生み出していくことにある。現代の競争環境において、国際的な経営のあり方に唯一最善の解はない。状況を見極め、適宜、相反する要素のあいだでバランスを取っていく作業こそが求められる。こうした国際経営という領域の特性を踏まえれば、初習者のための教科書であったとしても、こうすべきだ、という答えを与えることは避けるべきだろう。望まれるのは、自身で答えを出す力、考え抜く力を、身に付けさせること。さまざまな事項を同時に検討し、状況を踏まえてそれらの調和のとれた答えを出すための、バランス感覚を身に付けさせること。少なくとも、初習者向けの教科書として、十分な能力の養成までは辿り着けなくとも、そうした姿勢でものごとを考える習慣づけをする必要があると考えたのである。

 ここでいうバランス感覚とは、多面的に検討し、さまざまな要因を考慮して総合的に答えを出す力を意味する。冒頭に述べたような様々な問題は、唯一の原理原則や、ひとつの評価基準だけで判断すれば、大きな間違いを犯す。テレビや半導体の分野で喫した日本企業の手痛い敗北はその典型例であろう。日本のものづくりは強い、ものづくりで世界に勝つのだという発想にすがり、諸外国企業の実力や、業界のビジネスモデルの変化に十分な注意を払わなかった結果、名だたる日本の電機メーカーが大きな赤字を計上した。世界的な見地から状況を俯瞰し、自社のものづくりの現在地を見極め、その長短を理解する。その上で、活用できるとあらば世界戦略の一部にものづくりを組み込む。そうでないなら、断固たる態度で自社工場閉鎖の判断をする。そうした、俯瞰的・客観的な視座から状況に応じた判断ができることが、グローバル時代に求められる経営のバランス感覚なのである。

 こうした発想から、『はじめての国際経営』では、企業が国際的に活動するときに直面するさまざまな問題を紹介しつつ、いずれの問題においても、著者側からは問題を捉えるための理論と考え方、そこに存在するトレードオフの構造を説明するにとどめた。そうして、読者はどのように考えるだろうか、と何度も問いかけていくという構成を取っている。本著では、直接投資の理論、国際組織の設計、世界経済の概略史、トランスナショナル経営、子会社マネジメント論など、国際経営に関する基本的な理論とトピックはひととおり押さえたつもりである。また、日本企業の現在とこれからを見据えて、先述のものづくりのほか、アウトソーシング(国際パートナーシップ)、国際人的資源管理といったトピックもカバーした。いずれも、著者一同が現代日本企業の国際経営における重要性を強く信じる論点である。これらの論点について、本著では一貫して読者に考え続けさせるスタンスを取っている。各章で、大小さまざまの問いに繰り返し取り組んでもらうなかで、読者諸氏が自ずと「この状況では、どのような判断が望ましいだろうか」という思考が働いていくようになることが、著者が狙いとすることである。

 なお付言すれば、国際経営において求められるバランス感覚とは、経済・経営上の合理的判断の上だけでなされるものではない。世界中で年間1,000万台もの自動車を生産しているメーカーが、地球環境や安全性を考慮しなかったとすれば、おそらく社会は持続していけないだろう(営利と社会貢献のバランス)。また、多国籍企業の活動が国際政治情勢に与える影響は、アヘン戦争の時代からこんにちまで何も変わっていない(政治と経済のバランス)。さらに、企業経営者や国際的に活躍するビジネスパーソンは、理屈で語るべき時だけでなく、理屈抜きで情熱で語るべき時があることもまた、わきまえなければならない。本著には「当たり前のように世界を舞台にできる、グローバル人材のための基本的教養」という帯を付けて頂いた。知識や技能ではなく、教養という表現を使わせていただいた理由はここにある。グローバル人材に求められるのは、マネジメントという側面に限定されることのない、全人格的な修養の結果としての「バランス感覚」なのである。

 とはいえ、読者諸氏は、ここで用いた「バランス」という言葉を、本著のなかではあまり見かけることはないはずである。読み終わったときに、自然とそうした考え方ができるようになっていることを目標として。本著の中では、バランスのとれた思考ができるようになるという狙いをあまり明示的に書くことはせず、見えないけれども全体の骨格をなす裏糸を成すように縫い込んでみた。もし、各方面でご活用いただけることがあれば、この点に留意して活用いただければ嬉しく思う。

 私は現在大阪大学で教鞭を執っているが、大阪には広く紹介したい隠れたグローバル企業が数多く存在している。その筆頭が、本著冒頭で紹介している、業務用エアコン世界最大手のダイキン工業である。ダイキンはまさしくこのバランス感覚で成功してきた会社である。世界市場の多様化するニーズに対応すべきときには、現地主体での自律的な経営を志向する。技術とものづくりの力を蓄積し、それを横展開していくときには、日本の強いリーダーシップによる本社主導の経営を行う。類まれな手腕でこんにちの繁栄を築いたダイキン中興の祖・井上社長(当時。現会長)は、「経営のグローバル化を進めるうえで、企業にとって大事な要諦のひとつは遠心力と求心力のバランスをいかに取るかです」という言葉を残している。日本でも下位メーカーであったダイキンを20年足らずで世界一にまで育てた名経営者の金言として、実に含蓄のあることばに思うが、いかがだろうか。

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