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連載

続・平和宮の平和でない? 日々

第3回(最終回) キャリアとしての国際仲裁

早稲田大学社会科学部教授 福永有夏〔Fukunaga Yuka〕

 この連載では、ハーグの平和宮を本拠地とする常設仲裁裁判所(PCA)において法務官補佐として勤務していた経験をもとに、投資仲裁をはじめとする国際仲裁の舞台裏を紹介してきた。連載の最後となる今号では、PCAの採用の実態や同僚たちのその後のキャリア形成などについて書く。

フェローシップが開く国際仲裁への扉

 初めにPCAの採用についてだが、実は私が採用されたのは、PCAのフェローシップ制度による。国際機関のインターンシップは珍しくないし、PCAにもインターンシップはあるが、PCAのフェローシップはそれとは一線を画している。

 PCAのフェローシップの下で採用された者は、フェローとして在籍するが、同時に法務官補佐としての肩書きも与えられる。仕事をする上でフェローか正規の職員かの区別は一切なく、事実上正規職員と同じ立場で仕事をこなす。フェローか正規職員かの唯一の違いは、フェローには給与が支払われないことくらいである。私ももちろん例外ではなく、早稲田大学の給与とPCAの給与の二重取り、などとおいしい思いをしていた訳では決してない。

 フェローとして採用された場合であっても、仕事ぶりが認められれば、のちに正規職員として採用されることもある。実際、私が在籍していたころは、PCAの正規職員の半数くらいは、当初はフェローとして採用されのちに正規採用された人たちであった。

 またPCAの正規職員として採用されなくとも、フェローとしての経験を評価され、フェローシップ後に国際仲裁の分野で有名な法律事務所に採用される者も多い。

 一度、こんなことがあった。私のオフィスに国際仲裁の世界では超有名な弁護士がふらりと現れた。なんでも、その弁護士が担当している仲裁に関する会議のために平和宮にやって来たが、ちょっとしたもめごとで会議が進まず、暇をもてあましているとのこと。「国際仲裁のスター」の登場に、オフィス・メイトであったフェローの法務官補佐(Cさんと呼ぼう)と私は大騒ぎし、あれやこれやとその弁護士を質問攻めにし、楽しいひと時を過ごした。

 それから1年ほどたっただろうか。Cさんから連絡があった。なんと、その「スター」がトップを務める法律事務所に就職が決まったという。PCAのフェローシップは、国際仲裁におけるキャリアの可能性を広げるのだ。

華麗なる争い

 フェローは仲裁案件を補佐することを主たる任務とするが、それ以外の業務に携わることもある。たとえば私は、仲裁案件の補佐のほかには、PCAのPRに係わる業務に携わることが多かった。PCAはまだまだ認知度が低いので、各国の政府関係者などに業務を紹介したり、他の仲裁機関と相互協力の可能性について協議したりするのである。特に私のPCA在籍中には、国連総会で法の支配に関するハイレベル会合が開催されたこともあり、多数の関連会合が開催された。こうした会合の準備は、仲裁というより外交の世界を垣間見るようで、なかなか興味深かった。

 PCAのフェローシップは、原則1年間と期間が長いのも魅力である。期間が長い分、責任のある仕事を任せてもらうことができるし、上司や同僚と信頼関係を築いていく楽しみもある。法務官補佐は、基本的には法務官を補佐する役割を担うのだが、仕事ぶりを認められれば、法務官の補佐を受けつつ自らが案件の主要な責任者となることもある。

 私も、PCAに赴任して半年ほどたったころ、ある案件について、短期間で終了する扱いやすい案件だからということで主要な責任者にさせてもらった。主要な責任者となれば、関係書類には自分のサインがつき、問い合わせにも自分で答えなければならない。メールでの問い合わせであれば、サポートしてくれている法務官に相談したうえで回答することができるが、電話での問い合わせがあれば、基本的には即答することが期待されよう。間違ったことを答えてしまっては大問題である。この案件を担当している間は、電話線を抜いてしまおうかと真剣に考えたくらいだ。

 悪い予感?が的中し、ある日その案件の当事者から突然電話がかかってきた。手に汗を握りながらも、何とか無事対応し、その案件を処理することができた。今となってはよい思い出だ。

 ところで私が在籍していたころは、同僚のフェローがたまたま全員女性だった。まだ20代の女性たちなので、普段は学生のノリで仲良くしていたが、激しい競争が見え隠れすることもあった。みな、今後のキャリアがかかっているので、大きな仕事を任せてもらおうと必死なのである。

 日々の残業は当たり前、週末に仕事をすることも珍しくない。中には正規職員よりよく働いているのではないかと思えるフェローもいたくらいだ。ただ、よく働くだけでは十分でない。そこは「認めてもらってなんぼ」の世界である。……あまり生々しい描写は控えておくが、激しい国際競争を勝ち抜いていくには、多少の図太さや押しの強さが必要なのかもしれない。

総合力で勝負

 読者の中には国際裁判所などで働きたいと考えている若い学生もいるかもしれないので、PCAのフェローとして採用されるために必要な資質についても書いておこう。ただし、私は採用に関わっていたわけではないので、あくまで私の主観的な感想であることを初めにお断りしておく。

 PCAでフェローとして採用されるのは、法曹資格を取って間もない弁護士が多い。法曹資格を持っていても優秀な法律家であるとは言えないが、法律家としての一定の素養を有していることの手っ取り早い証明にはなる。私としては、研究者であっても法曹資格を取得して損はないだろうと思っている。

 国際裁判所で働くためには、当然語学力も不可欠であろう。ただしこの場合の語学力は、ハーグの美しいビーチでパーティーをしたり、たまには同僚と愚痴をこぼしあったりするための会話力ではない。もちろんそんな会話力もあって損はしないだろうが、国際裁判所の事務局で最も重要なのは、ドラフティング能力であろう。文章を正確かつ論理的にまとめる能力である。語学力というより言語力と言った方がよいかもしれない。

 私にとって、ドラフティング能力はPCAで生き抜くための命綱のようなものであった。というのも、私の英会話力は残念ながらネイティブ・スピーカーには遠く及ばないため、そこで勝負をしても勝ち目はない。それどころか、同僚フェローたちがキャーキャーと盛り上がる話についていけず、何度悔しい思いをしたかしれない(歳のせいという話もあるが)。だからこそ、ドラフティングについては誰にも負けないという気持ちで取り組んでいた。

 ドラフティングだけではない。調べごとを頼まれたら関連する事例をしらみつぶしに調べあげ、急ぎの用事と言われたらランチを飛ばしてでも即座に片付けた。英会話力では劣っていると認めざるを得ないので、それを補うためにとにかく持てる力を総動員した。

採用のカギは「蜘蛛の糸」

 さて、国際裁判所などに採用されるために侮れないのが、ヒューマン・ネットワーク、つまり「コネ」である。国際競争は国内競争以上に玉石混淆であろうから、「皆が知っている誰か」によって身元や能力が保証されていることが重視されるのは当然である。

 大手法律事務所に勤務されている弁護士などであれば、「コネ」の1つや2つはなんとでもなるのかもしれないが、学生にとってはなかなか難しい問題であろう。この点欧米の学生は、国際仲裁で活躍する弁護士が身近に大勢いるであろうから、あまり意識をしなくとも「コネ」作りができるかもしれないが、日本の学生はそうはいかない。ロースクールなどしかるべき機関が、もう少し、日本の学生の後押しをする必要があるのではないかと思う。

 たとえばPCAには、しばしば、各国のロースクールや大学院の学生が団体で見学にやってきていた。ハーグには、平和宮にあるPCAや国際司法裁判所(ICJ)のみならず、ほかにも多数の国際裁判所が所在しているので、国際裁判所ツアーには最適の場所なのである。PCAでは、要望があれば、職員が歴史や最近の活動について見学者を対象とした講義も行っている。

 日本も、学生などを対象としたハーグ・ツアーを行い、平和宮の大法廷やジャパニーズ・ルームを見学させたり、国際裁判の現場で働く職員の話を聞かせれば、もっと多くの学生が国際裁判を研究の対象としてのみならず、キャリアパスとして身近に感じるようになるのではなかろうか。

 ところで私にとっても、「コネ」を見つけるのは最大の難関であった。しかしいくつかの偶然が重なり、思いがけずPCAにつながる蜘蛛の糸を垂らしていただくことができた。

 どうしたら蜘蛛の糸が垂れてくるのか。こればかりは運としか言いようがない。ある人の言葉を借りれば、垂れてくるときには垂れてくるし、垂れてこないときには垂れてこない。ただ、垂れてきたときには、切れないように大事にたどり、できれば次の人に引き継ぐようにしたいものだ。

終わりに

 PCAで勤務を始める日の前夜、下見を兼ねて平和宮に行ったことをよく覚えている。日曜だったその日は門扉が固く閉じられ、薄暗い曇り空の下にそびえる平和宮は誰も寄せ付けない雰囲気を醸し出していた。正直に言えば、PCAフェローに応募したことを少々後悔し、快適な自分の研究室に帰りたくなった。

 それから約1年後。顔なじみとなったガードマンとあいさつを交わしながら平和宮の門扉をくぐり、赤いじゅうたんの敷かれた大理石の階段を上って、偉大な外交官の名前がつけられた自分のオフィスに向かう。そんな日々がとても大切なものになっていた。

 PCAに採用され勤務するに当たっては、多くの方々のお力添えをいただいた。また、PCAでの日々をこのような形で記録する機会をいただいたのも幸いであった。逐一お名前を挙げることは控えるが、この場を借りて皆様にお礼申し上げる。

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