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連載

公共政策を考える

第8回 キャリア官僚のOJT

京都大学大学院法学研究科教授 真渕勝〔Shitani Masashi〕

 日本はアメリカを除く多くの先進国と同様に、行政官僚について内部昇進制度を採用している。公務員の採用試験に合格して採用された職業公務員が組織内で昇進を重ねていくことになっている。政治的に任命されるポストはごく僅かである。

 しかも国家公務員については入り口選抜方式が採用されている。2011年度までのⅠ種試験、2012年度以降の総合職試験に合格して採用された者、いわゆるキャリア官僚は他の試験で合格・採用された者とは全く別の扱いを受け、彼(女)らよりも遙かに速く昇進していく。

 Ⅰ種試験から総合職試験へと「抜本的な見直し」が行われたと喧伝されてはいるが、まともに受けとめている人はおそらくはいない。第1に、戦後になって数度、「入り口選抜」をやめて採用後の働きで昇進ができるように試験制度が改革されたが、掲げられた目標が達成されたことはないからであり、第2に行政機関の現在の幹部たちがこれまでの人事慣行を見直す気がないからである。

 とはいえ、内部昇進制度をとっている国のほとんどは国家公務員について、複数の昇進ルートを準備している。フランスのENA(国立行政学院)の出身者が受ける特別待遇は日本のキャリア官僚の比ではない。

入り口選抜方式の合理性

 さて、ここで問いたいのは、入り口選抜方式に合理性があるのだろうかということである。Ⅰ種試験や総合職試験ではない試験で採用された官僚は、いくら働いたところで例外的に課長待遇になれるだけである。局長になった例は、筆者の知る限り、1件だけである。1981年の大蔵省印刷局長がそれである。マスメディアは大抜擢とはやしたてたが、当人の周囲の人たちは「あれほど働いてやっとお飾り程度の局長か」と冷ややかであったという。印刷局は現在は独立行政法人であり、本省から完全に切り離されていることからも、嘆きの意味は伝わってくる。

 キャリア官僚を、昔の表現で言えば特権組として特別扱いすることにどのような意味があるのだろうか。これが筆者の最終的に解明したい問いである。

 たとえば、バーナード・シルバーマンは、明治維新後の政治の動乱期に、一定の能力を証明できた者に将来を約束する(高等文官試験の合格者に昇進を約束する)ことによって、明治政府に忠誠心を確保する必要があったからだと説明している(武藤博己他訳『比較官僚制成立史』)。歴史的にはそういう側面もあったであろうし、本シリーズの「時間のなかの公共政策」で展開した理屈によれば、ロックインされているのだと言うこともできる。変更には大きなコストとリスクが伴うということである。しかし、それでは正当化の根拠としては消極的であるし、改革派の批判に応えきれるとも思えない。

 はたして、Ⅰ種試験や総合職試験で合格・採用された若い官僚たちは、将来、幹部になるに相応しい訓練を受けているのであろうか。先の最終的に解明したい問いに直結するものではないが、とりあえずここから手をつけてみようと思い、あれこれと調べているところである。

 キャリア官僚は入省後約10年で課長補佐になる。ようやく一人前の官僚として認められるようになる。それまでの期間、どのような仕事をしているのだろうか。

 失礼な表現になるが、ほとんど雑用のようである。ただし、肉体労働もあれば、多少は知的な労働もある。

若手キャリア官僚の肉体労働

 第1はコピー取り、お茶くみ、ゴミ捨てなどの下働きである。もちろん、たいていは若い女性のアルバイトの職員がおり、昼間は彼女らがやってくれる(在籍期間が短いために名前を覚えてもらえず、「バイトさん」と呼ばれたりする)。しかし、彼女らは遅くとも午後6時には退庁するので、それ以降は、若手職員の仕事になる。そして若手職員にはキャリア官僚も含まれる。

 第2は国会や議員会館への「お使い」である。政治家から資料などを持って来るように言われたときに、それを運ぶのである。政治家が呼びつけたときに、キャリア官僚以外が行くと、政治家は自分が軽く扱われたと思って「へそを曲げる」おそれがある。そのために、若手キャリア官僚が行かされるのである。黒塗りの公用車を使わせてもらえるので見た目は華やかである。しかし、所詮は「お使い」である。

 第3は各種パーティへの代理出席である。幹部官僚が政治家などのパーティに招待されても、行けないことがある。そのようなとき、若手キャリア官僚が幹部の名刺をもって代理出席し、名刺を置いてくるのである。若手キャリア官僚の多くは、この仕事は嫌いではないらしい。高級ホテルのご馳走にありつけるからである。

 最後に、肉体労働というわけではないし、業務時間外に行われるので純然たる仕事というわけでもないが、歓送迎会の幹事役も若手キャリア官僚の重要な仕事である。店選びのセンスや段取り(挨拶の順番や座席の決定、会費の設定など)、気配り、調整能力、根回しなど仕事でも必要になる能力が試されるということである。

若手キャリア官僚の知的労働

 多少は知的な労働もしている。

 第1は立法作業に関連する「参照条文の作成業務」である。すなわち、自省が法案を作成したり、法改正をしたりするときに、同法案に引用される既存の法律の条文をリストアップする作業である。法律は他の法律を相互に参照しあっている。そして、新しい法律を作るときにも他の法律を参照しなければならないことがある。どの法律のどの条文を引用するかを確認し、それをリストアップするのが「参照条文の作成業務」である。このリストは後にその法案が内閣法制局の審査を受けるときに必要になる。そのために、その作成作業は地味ではあるが必要な仕事なのである。

 第2は、これに続く「法令紹介」である。たとえば、A省所管のa法に「b法 第10条を適用する」という条文があるとしよう。そしてb法が他省であるB省の所管であるとしよう。このような場合に、かりにB省がb法を改正するとすると、A省もまたa法を改正したり、10条を11条に改めたりする、いわゆる「条ずらし」をする必要が生じることがある。すなわち、B省がb法を改正すると、A省もまたa法の「b法 第10条を適用する」という条文を「b法 第11条を適用する」と法改正しなければならなくなるのである。そのために、法改正しようとしているB省はA省に対して「法令照会」を行い、A省は連動して法改正をする必要があるか否かを答えるのである。法令照会をかける省は「参照条文の作成業務」の結果に基づいて、他のすべての省に法令照会をかけ、すべての省は他のすべての省からの法令照会に答えなければならない。これもまた地味ではあるが重要な仕事であり、新人の仕事である。

 ワードプロセッサやインターネットが普及する以前、この作業は相当に手間のかかるものであった。何十冊もある分厚い法令全集を開いて、一字一句調べなければならなかったからである。しかし、現在は、法令のデータベースは整備されており、ワープロの検索機能も使えるので、随分と楽になっている。

 第3は国会答弁書の作成である。国会における議員からの質問はあらかじめ政府に伝えられる。とは言っても自動的に伝えられるのではなく、担当省の官僚が議員に「頭を下げて」教えてもらうのである。これを「質問取り」という。「出来試合」と揶揄する向きもあるが、政府が関与する対象はとてつもなく広く、国会でいきなり質問されたところで、即座に適切に答えることは不可能であるから、質問取りは必要不可欠な過程である。この質問に答える準備をすることも新人キャリア官僚の仕事である。原案とも言うべき答弁書を書くこと自体は、質問の数が少ない限り、さほどの手間はかからない。大変なのはその先である。課長補佐→課長→局長と上げていって承認を得なければならないからである。上司によって考え方が違うこともあれば、確定的に答えることが困難なこともある。さらに質問が複数の省に関係する場合は、関係省と協議して合意に達しなければならない。このように答弁書の作成には上下・左右の了解が必要であるために、時間がかかる。国会の会期中は徹夜残業が普通になると言われるほどである。

 第4に上司の手書き原稿の清書というのもある。とはいえ、ワープロが一般に使われるようになり、上司がワープロで打ち込めば必要のない仕事になっている。しかし、なかにはワープロを使いこなせない(絶滅危惧種と言うべきか、若手職員からみれば絶滅期待種とも言うべき)上司もいるので、手書き文章のワープロ打ちも完全になくなったわけではない。最近では、清書の仕事が減った分だけ、パワーポイントを使ったプレゼンテーション用の資料(ポンチ絵)作りの仕事が増えている。

新人時代の雑用に埋め込まれた現場知

 法令照会、参照条文の作成業務、清書などは知的労働というには憚られるような単純作業であるが、キャリア官僚といえども若手のうちはこのような仕事をさせられる。

 しかし、このような雑用とも言える定型的な作業のなかで、新人は仕事を学んでいくのかもしれない。

 法令照会や参照条文の作成は、自分の属する組織の仕事の広がりがどのようなものであるか、そしてどの部分で他省と衝突する可能性があるかを具体的に学んでいく。自省の守備範囲、そして他省と縄張り争いが起きる可能性のあるポイント、さらに「施策の真空地帯」を発見し、将来の立法の余地を見つけることもあるかもしれない。清書のためのワープロ打ちも「官庁文学」とも揶揄される役所での文章の書き方を学習する効果がある。

 お茶くみやゴミ捨てにおいても学習という観点からそれなりの意味があるのかもしれない。まったく職種は違うが、デザイナーは新人の時期には職場の掃除という雑用が割り当てられると指摘した後、経営学者の松本雄一は次のように書いている(金井壽宏・楠見孝編『実践知――エキスパートの知性』)。

 

 掃除という仕事は、先輩とコミュニケーションするきっかけをつくる。自分の机を掃除してくれる後輩との間には自然と会話が生まれ、そこからさまざまな技能を伝承されるのである。そしてもう一つは、組織に「参加」する手段としてのものである。……(中略)……新人は経験の不足から組織に対して貢献することが難しいが、職場の掃除をすることでその新人は先輩から、そのブランド組織に「参加」することを認められ、その「周辺」において技能を獲得していくことができると考えられるのである。

 

 若手官僚にあっても同様の意味があるのかもしれない。

 雑用にも効用はある。そこから人は何事かを学んでいく。それはその通りであり、若手キャリア官僚が雑用に多大な時間を割いていることが無駄であるとは思わない。しかし、若手キャリア官僚が雑用から何事かを学んでいるとしても、それがただちに入り口選抜方式を正当化しているとも思えない。

 国家公務員試験の制度を、その時その時の批判に応えるように、改正してきた。しかし、国民もマスメディアも飽きっぽい。嵐が過ぎれば、制度改正の趣旨を忘れさり、それまで通りの慣行ですませる。場当たり的に改正をしてきたのも、おそらくは積極的な正当化の根拠を見いだすことができなかったためであろう。

 エリートが必要であるとするならば、なぜ必要なのか、正面から弁証しなければならないのではないだろうか。

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