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書斎の窓

巻頭のことば

経済学とその周辺

第2回 経済学と実験

武蔵野大学経済学部教授 奥野正寛〔Okuno-Fujiwara Masahiro〕

 経済学を最初に習ったとき、さんざん聞かされたことがある。それは、経済学は社会科学の中でもきわめて論理的で、数学を多用する科学的な学問である。ただ1つ残念なことに、自然科学と異なって、学問の対象が社会つまり人間なので、実験ができない。理論の正しさを確かめるためには、経済データを統計的に検証するしかない、という指摘である。

 後になって知ったのだが、人間は「利己的で合理的に行動する」ことを頭から仮定していた経済学と違って、同じ社会科学でも心理学では、実際の人間行動を確かめるために昔から実験が多用され、実験心理学は心理学の中で重要な位置を占めている。ただ当時の経済学は、他の社会科学を馬鹿にしていて、心理学で実験が多用されていることを誰も教えてくれなかった。

 経済学が心理学の実験を重視しないもう1つの理由は、経済学者が、当時の心理学の実験が本当に実験と呼べるかどうか疑わしいと考えたこともある。心理学の実験では例えば、「選択肢A、Bがある。選択肢Aを選ぶと、あなたは10%の確率で3万円を獲得する。Bを選ぶと確実に千円を獲得する。さて、あなたはどちらを選びますか?」といったアンケートを行い、それに対する回答を統計的に検定する。これに対して経済学者の間では、アンケート調査では被験者は真剣に答えようとしない。実際にその確率でその金額のお金を被験者に与えないと、本当のところはわからない、という懐疑の念が強かった。

 このような状況が変化し、経済学でも本格的に実験が行われ始めたのが1980年代である。当然、回答に応じて実際に被験者にお金を支払うことが前提である。そんな動きを反映して、1987年ごろ、たまたま日本で初めての経済学の実験を私が行うことになった。

 世界的レベルで経済学における実験研究を先導していた米国の友人の企画で、最後通牒ゲームの国際比較を行うので私が日本を担当することになった。最後通牒ゲームの具体的内容の説明は省くが、要は、戦略的駆け引きを扱う「ゲーム理論」の1つの具体例で、被験者を相手が誰かわからないように2人ずつのペアに組み合わせ、お互いがどの選択肢を選ぶかによって、各被験者の受取額が異なるゲームをプレイさせ、その結果を解析して、人間の行動様式を分析することが目的である。特にこの実験では、アメリカ、日本、イスラエルなどの人間行動、特に人間の強欲さに国際的な違いがないかを調べる点が要だった。

 さて、実験を行うにはそのための場所が必要だが、当然、私が当時勤めていた東京大学が最適だろうと考えた。ただ、わが国では初めての試みなので、念のため当時の経済学部長に相談してみた。「初めて」と聞いて心配になったのだろう、「少し時間をくれ。考えてみる」という返事だった。

 数日たって貰った返事は、「念のために法学部長に相談したが、被験者が選択した結果、受け取る額がいくらになるかわからないゲームとは、博打のようなものだ。だから、そんな実験は賭博行為を被験者にさせることになる。賭博罪に問われる可能性があるから、実験を行うことは許可できない」という。これにはびっくりした。自然科学では実験は必要不可欠な要素だし、最後通牒ゲームの実験も、被験者にお金を払うことも、世界各国で何百回も行われている。それをまさか賭博罪はないだろう、と思ったが、相手は学部長で、しかも彼が相談した相手が法学部長では、勝ち目がないと踏んで東大での実験を諦めた。

 とはいえ、これでは国際的な比較研究ができない。私立大学ならそんな堅苦しいことは言わないだろうと、旧知の友人に頼んで慶応大学で実験をやらせてもらうことにした。幸い慶応は極めて好意的で、場所を貸して貰っただけでなく、被験者としても、東大の学生に加えて、慶応の学生に加わって貰った。

 結果的にこの実験はうまくゆき、出来上がった論文は、多数の論文や書物に引用され、今や国際的にも引用数の最も高い論文の1つに数えられている。他方、経済学における実験研究は花開き、2002年度のノーベル経済学賞が実験経済学者に与えられ、「実験経済学」という研究分野や国際的専門誌もできるまでになった。あの東大でさえ、実験を行うための専門施設が設けられ、多数の実験が行われるようになったのは、誠に喜ばしいことである。

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