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書斎の窓

連載

脳の中の不思議の島――趣味的研究人生

第1回 内受容感覚と感情

名古屋大学大学院環境学研究科教授 大平英樹〔Ohira Hideki〕

 第一次世界大戦が始まった1914年の6月26日、イタリアはナポリ、ヴィッラ・コムナーレの馬場の前に、マリネッラという店が開かれた。ネクタイをはじめ、シャツ、スカーフ、帽子、靴など、紳士が身に付けるべき品を提供するこの店は、サヴォイヤ朝のウンベルト王子や、その叔父のオアスタ公マヌエレ・フィベルトなどを顧客とし、華やかな時を紡いでいった。1994年、村山元首相も出席したナポリでのサミットG7で、各国首脳への贈り物に6本のマリネッラのネクタイが選ばれたことは、まだ記憶に新しい。

2005年7月に私が初めてこの店を訪れた時、3代目の当主マウリッツィオ・マリネッラ氏はにこやかに迎えてくれ、隣のバールから自らエスプレッソを買ってきてくれた。ソット・ブラッチョという名の、美しい深い緑色のバッグを求めたのだが、250ユーロもしなかったと思う。店を出る時、マリネッラ氏はプレゼントだと言って、ムンガイの見事なリネン・チーフを私に与えた。それはおそらく120ユーロはする。要するに、この店は、遠い日本から来た客を相手に儲けようとは考えていないのだ。それよりも、ささやかではあるが素晴らしい時を贈ろうとしているのだと、私には思えた。心理学における幸福の研究の知見では、物を買うより、経験を買うことにお金を使う人ほど幸いであることが実証されている。授業や講演で、その知見に言及するたびに、私はマリネッラでの経験を思い出す。

 『マリネッラ小冊子』に曰く、

 

ふたつの悲惨な戦争を経て、我々はリベラルから独裁、民主主義と、みっつの体制を経験した。そして、すべてが、何もかもが、すっかり変わった。しかし、マリネッラだけは初代から息子ジーノへ、そして才気溢れる孫のマウリッツィオへと受け継がれ、今も変わらないボン・トン(よき趣味)の慎ましやかなメッセージを送り続けている。

 

 私は心理学の研究者であり、感情に伴う脳と身体の機能的相関を探求している。理想とするのは、ボン・トンな研究だ。すなわち、洒落たアイディア、軽やかで華麗な概念操作によるロジック、シンプルできれいなデータ、面白いストーリーに仕立てられた論文、である。これから、このコラムにおいて私は、そのような、よき趣味を体現するような研究と、その周辺にある人生の小さなエピソードたちについて語っていきたいと思う。そこで主題とするのは、島(とう:insula)と呼ばれる脳の中のひとつの部位である。

 島は、側頭葉と頭頂葉を分ける外側溝(がいそくこう)の内側にある脳皮質である(図1)。島は弁蓋(べんがい)と呼ばれる領域によって覆われており、外からは見えない。この不思議な名前は、ドイツの解剖学者、神経学者にしてゲーテとも交流のあったロマン派精神医学者であるヨハン・クリスチャン・ライルが、この部位を初めて学術的に取り上げ、これにより「ライルの島」と呼ばれたことに由来しているという。島の後部は、さまざまな感覚信号の入力を受ける。特に、痛みやかゆみなどの体性感覚の信号が投射される。一方島の前部は、感情的刺激を検出し感情反応を起動させる扁桃体と双方向的な神経連絡を有している。

図1 脳の側頭葉を切除して島を露出している(楕円内が島)。明瞭な層構造がみてとれる。

 近年、身体内部環境の感覚である内受容感覚(interoception)を感情として主観的に体験するために、島が重要な役割を果たしていることが主張されるようになった(Craig, 2009)。私たちは、単に背中がかゆいとか、足のどこかが痛いといった個別の身体感覚を得るだけではない。例えば、だるい、体が軽い、興奮している、緊張している、といった身体全体の感覚を持つことができる。これを内受容感覚と言うのだが、それは多くの内臓や自律神経系、さらには各種のホルモンなどの反応の信号が束ねられ統合されることによって成立すると考えられる。そして、そうした内受容感覚は、すっきりして気分がよい、気分が悪く憂鬱である、不安がかきたてられる、などの感情を伴って体験される。身体各部から脳への信号の多くは求心性迷走神経により伝達されるが、それらが流れ込み合流する地点が島の後部であり、それらの信号が束ねられ、まとめあげられながら島の前部に送られてゆく。島の前部では、扁桃体との相互作用によりその身体信号表象に感情の色彩が与えられ、それらが渾然一体となった主観的体験が創り出される。

 多くの心理学者がこうした島の機能に興味を持つのは、それが19世紀末に、アメリカの心理学者であり、またプラグマティズム哲学者でもあるウィリアム・ジェームスによって主張された感情の末梢起源説を連想させるからだろう。ジェームスは、何らかの刺激が認識されると、それは内臓を中心とした身体反応を惹起し、その反応の信号が脳に送り返されることで感情体験が生じると論じた。心理学史において重要なこの理論の原典においては、実は何らの根拠も示されていない(この事情については、拙著『感情心理学・入門』[有斐閣]を参照されたい)。近年の神経科学の発展により島の機能が明らかになったことで、感情の末梢起源説に、初めて実証が与えられはじめたと言うことができるだろう。

 イギリスの認知神経科学者であるヒューゴ・クリッチレーは、内受容感覚に関する島の機能を、神経画像法を用いて可視化した。彼らの実験では、参加者の心拍がMRIスキャナの中で測定され、それが音声信号に変換されてリアル・タイムで参加者本人に与えられた。想像してみて欲しい。あなたは、MRIスキャナの中に横たわって脳画像を撮像されている。イヤホンからは、ポーン、ポーンという音が連続的に聞こえてきて、その音に注意するように告げられている。その音が何であるか教えられないうちは、島の活動は全く観測されない。ところが、実はその音はあなたの心臓の拍動であることが伝えられると、島の前部が活発に動き出す。聞こえてくる音に心拍という意味が与えられたことで、単なる外的な音声刺激から自分の心臓の動きへの注意が切り替わる。これにより、内受容感覚の神経回路のゲートが開く。この働きを担っているのが島なのである(Critchley, 2005)。

 興味深いことにこの研究では、このように自分の心臓に注意を向けた時に、島の活動が大きい人ほど、不安傾向が強いことが示された。確かに日常においても、胃が痛む、鳥肌が立つ、胸が締め付けられるなど、身体反応が不安のような感情の記述に用いられる。そのような、内受容感覚が敏感な人ほど神経質であり不安に陥りやすいというのは実感に合致しているし、感情の末梢起源説とも整合しているように思える。

 身体感覚により惹起されるのは不安のような負の感情だけではない。2011年7月、私が京都で国際感情学会を主催した際、会長のジェラルド・パロット教授らを、裏千家の由緒ある茶室である今日庵こんにちあんに招くことができた。猛暑の候である。空調がなく火を使う茶室は暑い。和服の背中が汗で濡れるのを感じる。そんな折、ふと風が入り空気が動くことで鮮烈な涼味を感じる。それを機として五感が冴え、風炉が立てる音、馥郁とした抹茶の香りが新鮮に立ち上がってくる。こうした心のはたらきを、近年の心理学ではマインドフルネス(mindfulness)と呼ぶ。今ここでの感覚体験で心を満たすという意味である。マインドフルネスは、不安やストレスを鎮め、リラックス感や統制感を高め、幸福感さえももたらすことが示されている。MRIによる脳の構造画像を撮像した私たちの研究では、島の体積が大きい個人ほど、こうしたマインドフルネス傾向が強いことが明らかになった(Murakami et al. 2012)。

 このように島は、身体信号の内受容感覚に基づいて感情体験を形づくる機能を持つ。さらに最近の研究により、島には、それだけにとどまらず実に多様な精神機能が関連していることが浮かび上がってきている。次回以降、この不思議の島の探検を続けたいと思う。

【引用文献】

Craig A. D. 2009. How do you feel now? The anterior insula and human awareness. Nature Neuroscience, 10, 59-70.

Critchley H. D. 2005 Neural mechanisms of autonomic, affective, and cognitive integration. Journal of Comparative Neurology, 493, 154-166.

Murakami, H., Nakao, T., Matsunaga, M., Kasuya, Y., Shinoda, J., Yamada, J., & Ohira, H. 2012. The structure of mindful brain. PLoS One, 7, e46377.

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