update: 2022-03

有斐閣『入門 司法・犯罪心理学』補足資料

第13章 表13-1(詳細版)

事件名
発生時期
発生場所
概要
足利事件
1990年5月12日
栃木県足利市
パチンコ店駐車場から女児が行方不明になり、翌日遺体で発見。事件と無関係な冤罪被害者が逮捕・起訴された。無期懲役が確定し服役していたが、DNA鑑定で無実が証明され、直ちに釈放された。
飯塚事件
1963年6月24日
栃木県鹿沼市
会計事務所と関係先に国税庁の税務調査が入り、法人税法違反・同教唆等の罪で事務所経営者など4人が起訴されたが無罪が確定。
恵庭OL殺人事件
2000年3月16日
北海道恵庭市
3月17日、恵庭市の路上で焼死体が発見された。被害者の同僚の女性が逮捕・起訴差れ、性犯罪による別人の犯行が主張されたが懲役16年が最高裁で確定し服役した。再審請求は2014年に棄却。
大崎事件
1979年10月15日
鹿児島県大崎町
農業を営む被害者が自宅で遺体で発見された。被害者の長兄・次兄・甥が実行犯として、長兄の妻と保険金目当ての殺人事件を企図したとして逮捕・起訴された。1980年から1981年にかけ、有罪判決が確定。次兄・長兄・甥・甥の母は死亡。長兄の妻が四次にわたって再審請求を続けている。
甲山かぶとやま事件
1974年3月17日
兵庫県西宮にしのみや
知的障害者施設で園児2名が浄化槽内にて死亡。当時勤務していた保母が逮捕・起訴されたが、一審は事故の可能性を指摘し無罪判決。二審は地裁に差戻し判決。最高裁で上告棄却、差戻しの上、一審からやり直した。差戻し後の一審、二審でも無罪判決。1998年10月に検察は上告を断念し無罪が確定。一度も有罪判決の出なかった事件。
財田さいだがわ事件
1950年2月28日
香川県財田村(現 三豊みとよ市)
男性が刺されて死亡、現金を奪われた事件。隣町の2人が逮捕され、拷問の上自白。起訴されたが一審からアリバイと無罪を主張したが死刑判決を受けた。1957年上告棄却により死刑確定。しかし1979年に再審開始、1984年に無罪判決、即日釈放された。
狭山さやま事件
1963年5月1日
埼玉県狭山市
少女が被害者となった強盗強姦殺人事件。鳶職手伝いの青年が逮捕され、1964年死刑判決。二審で無罪を主張し1974年無期懲役。1977年最高裁で確定、服役、1994年に釈放。現在第三次再審請求中。
志布志しぶし事件
2003年4月
鹿児島県志布志町(現 志布志市)
ホテル経営者の男性が選挙違反の容疑で「踏み字」を含む苛烈な取調べを警察で受けたが否認。同じ選挙陣営の女性ら13名が取調べを受け2名が逮捕された。さらに住民15名が取調べを受け贈収賄の罪で13名が起訴されたがアリバイの存在や供述調書の信用性が否定され全員無罪となった。
島田事件
1954年3月10日
静岡県島田市
行方不明になった女児が翌日遺体で発見、殺人事件として捜査された。5月24日に逮捕された青年から虚偽の供述が引き出され、起訴された。1958年に一審死刑判決、1960年に最高裁で確定。四次に渡る再審請求の結果1987年に再審が行われ、1989年に無罪が確定。誤認逮捕が原因とされている。
下田缶ビール詐欺事件
1981年8月7日
静岡県下田市
商店から缶ビール50ケースがだまし取られた事件。冤罪被害者が逮捕され、否認していたが起訴された。1982年に実刑判決を受け、控訴せずに確定。冤罪被害者は服役・出所後自力で真犯人を捜しだし、1986年に再審無罪判決を受けた。
自由民主党本部放火襲撃事件
1984年9月19日
東京都千代田区
自民党本部近くの駐車場から建物三階に向けて火炎が放射され三階から七階が被害に遭った事件。中核派が犯行声明を出した。中核派の構成員が起訴されたが、自白や直接の物証はなく、逃走車両や火炎放射器の材料購入の際の目撃証言が重要な証拠であった。このうち1つの目撃証言の信用性を否定し1991年一審無罪、1994年控訴が棄却され確定した。
草加事件
1985年7月19日
埼玉県草加市
中学の女子生徒が絞殺体で発見された事件。少年5人が逮捕・1名が補導されて少年院及び児童相談所送致処分となった。少年5人は当初より無実を主張したが1989年に最高裁判所で抗告が棄却され処分が確定した。一方、被害者の両親が少年たちの親権者に対して起こした民事訴訟では犯罪を裏付ける証拠が足りないとして請求は棄却された。
帝銀事件
1948年1月26日
東京都豊島区
閉店直後の銀行にやってきた男性が行員他16人をだまして青酸化合物を飲ませ12人が死亡、現金などが奪われた事件。事件で使われた名刺からH氏が逮捕・起訴されたが一貫して否認。目撃者もH氏を犯人と断定しなかった。1955年最高裁で死刑が確定。死刑は執行されず、H氏は1987年刑務所で病死。20次にわたり再審が請求されている。
東電OL殺人事件
1997年3月9日
東京都渋谷区
アパートの空室で女性の遺体が発見された事件。殺人事件として起訴され、2000年第一審で無罪判決が出たが、2003年に最高裁で無期懲役が確定、収監された。その後再審請求され、DNA鑑定の結果別人の犯行の可能性が示唆された。2012年に再審が開始され無罪判決。
徳島ラジオ商殺し事件
1953年11月5日
徳島県徳島市
電気店主が自宅で殺害された強盗殺人事件。住込み店員の少年2名が逮捕され1名が起訴された。1956年に懲役13年の判決、1958年に確定。6次にわたる再審請求が行われ、1980年に再審開始決定、1985年に無罪判決が出た。
名張なばり毒ぶどう酒事件
1961年3月28日
三重県名張市
地域の懇親会の席上で振る舞われたワインに毒物が混入され、17人が中毒しうち5人が死亡した事件。地区の住人O氏の犯行とされ逮捕・起訴された。1964年一審無罪、1969年に二審死刑判決。1972年上告が棄却された。1974年以降10次にわたる再審請求が行われた。本人は2015年に刑務所内で病没。
野田事件
1979年9月11日
千葉県野田市
小学生女児が遺体で発見。現場近くの住人が被疑者として逮捕された。1987年に一審懲役12年、1993年上告棄却により判決が確定した。1994年満期釈放(未決勾留日数参入による)。虚偽自白や証拠の捏造が疑われている。
袴田はかまだ事件
1966年6月30日
静岡県清水市(現 静岡市清水区)
会社専務宅が放火され、家族4名が他殺体で発見された。同社元従業員が逮捕された。否認していたが1日6から14時間にわたる取調べが三週間近く行われ、自白。しかし裁判が始まると再度否認。1980年に最高裁で死刑が確定した。2次にわたる再審請求ののち、2014年に地裁が再審開始決定したが2018年に高裁が棄却。2020年最高裁が高裁に差戻し、2021年時点で係属中。
氷見ひみ事件
2002年3月13日
富山県氷見市
強姦及び強姦未遂の疑いで男性が逮捕された。男性は長時間の取調べののち虚偽自白を行った。現場に残っていた体液は男性の血液型ではなかった。しかし地裁で懲役3年の判決が出て確定し、男性は服役し2005年に出所。翌2006年に真犯人がみつかり、2007年に男性は無罪判決。男性は国家賠償請求訴訟を提起、2015年には県の損害賠償責任をみとめた判決が出た。
弘前大教授夫人殺害事件
1949年8月6日
青森県弘前市
女性が刺されて死亡、近隣の男性が逮捕され起訴された。血液鑑定が争いとなった先駆け的事件。1951年の一審判決では殺人について無罪。しかし翌年の高裁判決で有罪とされ懲役15年となり、男性は10年服役した。1971年に真犯人が名乗り出た。1977年に再審無罪。真犯人は時効のため起訴されなかった(現在は殺人罪の公訴時効はない)。
布川ふかわ事件
1967年8月30日
茨城県利根町
自営業の男性が自宅で他殺体で発見された事件。近隣に住む青年2人が別の事件で逮捕され、この事件の取調べを受け、虚偽自白をし起訴された。1978年に最高裁で無期懲役が確定、服役し1996年に仮釈放された。2009年再審開始が確定し2011年に無罪判決。2人の犯行を否定する証拠や自白内容と事件の客観的内容の齟齬が多数存在していたことがわかった。
防衛医大教授痴漢冤罪事件
2006年4月18日
東京都世田谷区
電車内で女性が下半身を触られた強制わいせつ事件。同じ車両に乗車していた男性が逮捕されたが一貫して否認した。一審・二審は被害者供述の信用性を認めて有罪判決。しかし2009年に最高裁が3対2の多数意見で無罪判決。最高裁は客観的証拠がなく被害者供述が唯一の有力証拠となることがある痴漢事件の特性から特に慎重に判断すべき旨を判示した。
松川事件
1949年8月17日
福島県金谷川村(現 松川町)
鉄道のレールや釘等が外され汽車が脱線し死者の出た往来危険汽車転覆等罪の事件。同時期の往来危険に関する下山事件・三鷹事件と共に注目された。20名が逮捕・起訴され、一審で20名・二審で17名が有罪。しかし無実を示す事実が徐々に明らかになり1959年に最高裁が高裁に差戻した。1961年に高裁で全員無罪、1963年に確定した。
松本サリン事件
1994年6月27日
長野県松本市
裁判官官舎付近で毒ガスが散布されて7名が死亡(のちにさらに1名死亡)、数百名が負傷した事件。第一通報者の男性宅が強制捜査を受け、男性が犯人であることを前提とする報道が多数なされた。しかし1995年にオウム真理教による犯行であることが判明した。2002年に男性が長野県公安委員会の委員に就任した後、県警から男性に謝罪があった。
松山事件
1955年10月18日
宮城県松山町(現 大崎市)
農家の焼け跡から4人の遺体が発見された強盗殺人・放火事件。事件後東京に引っ越していた男性が逮捕・起訴された。1960年に最高裁で死刑が確定。1979年に再審が認められた。その過程で警察が留置場に送り込んだ男が自白をそそのかしていたこと、証拠を捏造したことが判明した。1984年に無罪判決。
免田めんだ事件
1948年12月30日
熊本県人吉市
一家4人が死傷し現金が盗まれた強盗殺人事件。近郊在住の男性が別の事件の容疑で逮捕されこの事件についても苛烈な取調べを受け虚偽自白した。1952年に最高裁で死刑が確定。第6次再審請求による再審開始が1980年に最高裁で認められ、1983年に熊本地裁が再審で無罪判決を出し確定した。アリバイが認められ、自白の信用性が否定された。
横浜事件
1942〜1945年
富山県・東京都等
総合雑誌に掲載された論文が共産主義を賛美し政府を批判するものとして弾圧を受けた治安維持法違反事件。論文の著者が逮捕され、雑誌は発禁処分となった。論文著者の集合写真が発見され、出版社や新聞社の社員数十名が逮捕され、神奈川県警特別高等課による拷問を含む取調べを受けて4名が死亡した。1945年8月に約30名に対して有罪判決。第三次再審請求で2003年に横浜地裁で再審開始決定、2005年に開始が確定した。2006年に横浜地裁の再審で免訴判決(有罪・無罪を判断せずに裁判手続を終了する判決)が出、高裁・最高裁も認めて2008年に確定した。なお、治安維持法は第2次世界大戦終結後廃止。