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五百旗頭真[編]『日米関係史』<2008年3月刊>(評者:東京大学 渡辺昭夫名誉教授)=『書斎の窓』2008年10月号に掲載= 更新日:2008年11月20日

外交史か関係史か
何々関係史というのが,近年の言い方で,何々外交史というと何となく古めいて聞こえる。だが,本書が日米関係史というタイトルを持つのは,ただ,それだけの理由ではない。グローバリゼーションという語を引き合いに出すまでもなく,20世紀に入ってからの,あるいはもう少し時代は溯れるかもしれないが,国境を超えた人や商品や資本そして情報の行き来が繁くなり行くにつれて,国と国との関係は,外交と呼ばれる狭い専門家だけの領域を超えて,社会の各層を巻き込んだ,広汎かつ立体的なものになってきた。本書の読者層も,当然,そうした広がりを持った人々から成るものと予想できる。
もともと歴史書というものは,専門家の間でしか通用しないような特殊な学術用語なしに書かれているものだし,現に本書などは,18人の執筆者の共同著作であるにもかかわらず,皆,ってこなれた平明な文体で書かれていて,専攻のいかんを問わず,また,研究者や学生以外の一般読者層にも読み易い出来上がりとなっている。学術書と言えば,堅苦しい文体というイメージがつきまとうが,本書の魅力の第一は,良質の語り口であって,優れた歴史小説家の文章でも読んでいるかの感じでページをめくることができる。
かといって,無論,内外の最新の専門家の研究の成果をふんだんに取り込んだ,刺激に富む第一線の研究書として,立派に通用する内容でもある。
狭い意味の外交史ではないとは言うものの,外交,すなわち,日米両国の政治的関係に主軸をおいて叙述がなされていることは,間違いない。
幕末の開国においてアメリカが果たした役割から始まり,現在に至る150年余の日米関係史は,「遠く淡い友好の時代」と編者の五百旗頭真氏が形容する初期友好関係の時期を経て,やがて,狭くなった太平洋をめぐる,対立と協調の20世紀前半を終わり,日米戦争と戦後の占領期,そして,日米安全保障条約に象徴される今につながる時期に入る。そして,九・一一事件の衝撃のもとで,新しい世紀へと入って行く。最初の五章が,戦前期,残りの6章が戦後期に当てられているが,この11章を通読することで,読者は,今展開しつつある新しい局面が,日米関係史の全体のなかで,どう位置づけられているのかについての生き生きとした,理解を手に入れることができるだろう。こうした,「全体的な視野」から日米関係を見るのが,本書の優れた特徴であるが,個々の事実・事件の細部や,歴史の局面ごとのニュアンスも,的確に描き出されている。
外交史の専門書という点に関して一例をあげれば,カリフォルニア州の日本人移民制限問題をめぐる交渉での,「重大なる結果」を招くという埴原駐米日本国大使の書簡の一句が,アメリカ側の態度硬化をもたらし,やがて排日移民法の制定へと至るというのが,これまでの通説であり,外交交渉が,そこで使われるたった一つの言葉次第で大きく変わるものとして,有名なポツダム宣言「黙殺」の発言と並んで外交史の良く説くところであった。
本書によれば,従来の説が,間違いではないが,それが,当時の微妙な米国国内政局において,排日移民法制定に消極的であった議員が,それを重視するカリフォルニア州選出議員の支持を得る必要から彼らに同調して態度を急変させるための便利な理由づけとしてこの「重大なる結果」問題が利用されたという事情を勘案しないと,十分な解釈とは言えない。この事例に典型を見るように,国内政治と世論が,(他の場合もそうだが,とりわけアメリカの場合は)外交に深く関わってくる。随所にそうした点に留意した切り込み方をしているのが,本書の優れた点の一つである。
「例外国家」としてアメリカ,そしてアメリカとの「特別な関係」で結ばれた日本
「日本外交はアメリカとの特別な関係を奇貨として用いつつも,それに溺れることなく,国際関係を展開する地平を世紀転換期には見出しつつあった」(26ページ)というのは五百旗頭氏が,開国から明治の条約改正までの「初期の緩やかで淡い友好関係」の時期を描く際に使っている表現である。篤姫が活躍するNHKドラマにも登場するハリスや黒船を率いて浦賀や江戸湾にやってきたペリーが代表するアメリカは,当時のイギリスやフランスなどの古典外交の猛者とは違って,力ずくで鎖国の扉をこじ開けようとはしなかった。右の表現は直接には,このことを指している。
しかし,ある意味で,この言葉は,本書の叙述全体に通底する日米関係史観を象徴的に表す言葉と言えるのかもしれない。というのは,アメリカがヨーロッパ諸国とは違う「特異な意識と行動様式をとる例外国家」であるのは,むろん具体的な内容は,時期によって異なるものの,時間を超えて常に妥当する事象でもあるからである。戦後の日米基軸時代のこと(ただし,この際は,「それに溺れることなく」とは言い難いかもしれないが)を念頭に浮かべる読者もいるだろう。良く言われる「英米特殊関係」とは別の意味で,日米関係は,「特別」だと言える。その「特別さ」は,例外国家としてのアメリカの性格に負うところが多い。
しかし,この「特別さ」が,日米関係をいつも平和で友好的なものにするとは限らない。その良い例が,ウイルソン大統領の外交革命が,もたらした日米関係の混乱である。日本を近代的国際関係と外交の場に導き入れる役割を果たしたのは,たしかにアメリカではあったが,日清,日露を経て,第一次世界大戦前後までの時期は,ヨーロッパの列強が指導権を持った古典的外交の時代であり,日本は,リアリズム外交をその列強の胸を借りて習得した。ところが,第一次世界大戦後,アジア・太平洋で向かい合うことになった,日米両国は,リアリズム外交を身につけた日本と理想主義的なウイルソン外交のアメリカというように異なる外交哲学を持った若い国家同士の関係へと変容していく。この意味でも,アメリカは「例外国家」であり,「普通の国家」である日本との関係は,調整が容易ではなかった。本書の第3章以下の3つの章が,その間の経緯を明らかにしてくれる。

アジア太平洋の国際関係を規定する日米中関係
運命的なことは,こうした日米外交関係調整の試金石となったのが,中国問題であったという事実である。本書も説いているように,揺籃期のアメリカ外交が極東に足場を築く際に,まず中国か,日本かの選択があり,ペリー艦隊による日本開国が優先された。その間に中国は,ヨーロッパ列強の非情な外交ゲームの競技場となっていった。そして,列強に伍して日本もやがてその競技場にのり込んでいくのである。その結果,ウイルソン的外交理念と,日本のリアリズム外交とが,正面から対決する場としての中国が,大きな問題として浮上する。その悲劇的なクライマックスが,加藤高明外相の対華二一か条要求である。以後,燃え盛る中国のナショナリズムの矛先となる日本と,その中国に同情を寄せるアメリカとの間の三角関係が形成される。以来,日米中三者の関係は,形を変えながらも,今日までアジア・太平洋における国際関係の基本的構図として続いている。本書を通読して鮮やかに浮かび上がってくるのは,そうした東アジア国際政治の図柄である。

戦後から九・一一後へ
日米の衝突と日本の敗北で,戦後へと舞台は一転するが,「例外国家」としてのアメリカは,今度は,核兵器で武装してソ連と対決する「超大国」という姿をとる。占領期とそれ以後の日米安全保障条約下の日本を考えれば,アメリカとの特別な関係が,戦後にも続いていることは直ちに了解できよう。例外的な超大国の登場によって変容したのは,全体としての国際社会であり,日米関係だけではないが,日米関係の「通史」としてのわれわれの関心のあり方からすれば,他とは異なる外交的プレーヤーとしてのアメリカを相手に外交の経験を重ねてきた日本という視点から,今日そして今後の日本外交や日米関係を見る見方を本書から学びとるべきであると言えるだろう。ソ連崩壊後は,唯一のグローバル国家となったアメリカは,本書の著者たちは,そうした言い方はしていないが,人によっては,「帝国」と呼ぶような特異な存在として,われわれの前に存在している。そして,何よりも,台頭してきた中国という,アメリカとはまた別の意味での「例外国家」とどう関わるかが,日米両国の課題として立ちはだかっている。
本書は,そうした問題意識を読者に抱かせるであろう。本書の続編がいつか書かれることがあるとすれば,この点に説き及ぶ必要があるだろう。遠い未来のことはさておき,近い将来については,たとえば,「2つのアーミテージ報告の比較」というコラム記事が示すように,「歴史」と呼ぶには生々しすぎるほどの事象も本書の叙述には含まれている。そのような同時代史的感覚も本書の特徴の一つに数えて良い。
ついでに言えば,今指摘したものを含めて一八のコラムが随所にちりばめられているのは,本書の魅力の一つであり,そのあたりに本作りの名人技が発揮されている。強いて一つだけ例をあげれば有賀貞教授の手になる「ミュンヘンとパールハーバー」などは,味わい深い文章である。
先にも書いたように,本書は一八人の執筆者の手になる共同作品ではあるが,あたかも単一の書き手のもののような出来上がりとなっているのは,編者である五百旗頭教授の目が隅々まで行き届いているためであり,その基礎には,時間をかけて何度も研究会を重ねて,十分に討議してきたという実績がある。「良い仕事をしましたね」と編者以下18人の執筆者全員に,賛辞を呈したい。
最後に,再び「日本外交はアメリカとの特別な関係を奇貨として用いつつも,それに溺れることなく,国際関係を展開する地平を開いて行った」という命題に戻って見れば,リアリズムで律し切れない,アメリカ的外交のスタイルに翻弄される局面もあるにはあったが,大きく見れば,アメリカの力を借り,それに溺れ勝ちの日本外交ではなかったか,自省の感を禁じ得ないのは私だけであろうか。
(わたなべ・あきお=東京大学名誉教授)

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