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奥田昌道[著]『紛争解決と規範創造――最高裁判所で学んだこと,感じたこと』<2009年12月刊>(評者:東京大学 中田裕康教授)=『書斎の窓』2010年6月号に掲載= 更新日:2010年6月3日
三葉の写真
 本書には、カバー裏の一葉のほかに、著者の写真が三葉掲載されている。最高裁判事を定年退官される直前、アシックスのランニング・ウェアで楽しそうに微笑んでおられる「退官送別ラン」のときの写真、最高裁判事就任から半年目、法服を着用しちょっと緊張気味の写真、大学教授に戻られた後、背広姿で力強く講演をしていられる写真。硬めの雰囲気の書名を見て本書を手にされた読者は、冒頭の笑顔に、びっくりなさるかもしれない。
 著者は、著名な民法学者である。京都大学で於保不二雄教授の下に研究を開始し、ドイツ留学を経た後、『請求権概念の生成と展開』(創文社、1979)を公刊した。実体法体系の確立という観点から、ローマ法の「アクチオ」に代わる「請求権」概念をドイツ学説が定立したことの意義を検討した名高い研究書である。また、『債権総論』(筑摩書房、19821987〔分冊〕。悠々社、1992〔合冊増補版〕)は、傑出した体系書として揺るぎない評価を得ている。京都大学法学部長も務めた後、1996年に定年退官し、京都大学名誉教授になられた。つまりは、純粋の大学人であり研究者である。
 その著者が19994月から20029月までの三年半の間、最高裁判事として過ごした経験を語るのが本書である。
 本書は3部から成る。「第1部 最高裁判所判事の日常」「第2部 印象に残る事件と判決」「第3部 これからの学者、法曹、学生に対するメッセージ」で、さきほどの三葉の写真が各部を飾る。

最高裁判事の生活
 最高裁判事は15人いる。その出身は、近年では、裁判官6名、弁護士4名、検察官2名、行政官、外交官、大学教授各1名であることが多い。法曹出身者にとっては、それまでの仕事の延長かもしれないが、大学から最高裁に移った奥田裁判官にとっては、そこでの生活は新鮮である。教育・研究・行政・学外の公的活動など様々な仕事を抱えつつも時間配分は比較的自由な大学生活とは対照的な、裁判の仕事に専念する規則正しい生活が始まる。勤務時間は、月曜日から金曜日まで朝9時半から夕方5時まで。曜日ごとに事件についての評議・審議、法廷、裁判官会議などが決まっている。それ以外の時間は執務室で事件を検討し処理する。これだけだと、それほどの負担ではないとの印象を与えかねないが、そうではない。退庁し、宿舎に戻った後、夜も持ち帰った仕事を続行する。週末は隔週で京都に戻るが、戻らないときは土曜日の終日と日曜日の午後の一部を仕事にあてる。事件は専門外のあらゆる分野にも及び、責任は非常に重い。激務というほかない。
 奥田裁判官は、その中で楽しみを見つけ出す。仕事のうえでは、調査官との議論に。自由時間では、毎朝のジョギングと昼休みの秘書官との投球練習に。ジョギングは退官後も続く「皇居を走る会」へと発展し、投球練習は東京地裁の裁判官野球クラブへの参加につながっていく。この輪の広がりは、著者の誠実で暖かいお人柄を知る者にとっては、ごく自然なことに感じられる。
 ここでは、また、最高裁にやって来た民事事件について、判断がされるまでの実際のプロセスが明らかにされる。事件の配分、分類、調査官の報告書、調査官との意見交換、そして裁判官の審議。最高裁での仕事の流れが具体的なイメージを伴って示される。

最高裁の判断の仕方
 続いて、著者が審議に関わった事件のうち十数件の民事事件について、審議の経過と感想が語られる。これが本書の主要部分である。取り上げられるのは、例えば、①抵当不動産の不法占有者に対する抵当権者からの明渡請求事件、②「エホバの証人」への輸血事件、③交通事故と医療事故が重なって被害者が死亡した事件、④ダイヤルQ2通話料金請求事件、⑤乳房切除術事件、⑥債権譲渡担保に関する二つの事件、⑦宅地並み課税がされた農地の小作料増額請求事件。いずれも各年度の重要判例であって、「民法判例百選」などに収録されたものもあり(①③⑥)、法科大学院や法学部の学生の段階でも身近なものが多いだろう。このほか、⑧年少女子の逸失利益の算定基準という、最高裁としては今後の問題も取り上げられる。
 著者は、これに先立って最高裁の判断過程における二つの観点を示す。一つは、具体的争訟について、正義衡平にかなった具体的妥当性をもつ処理をすることである。もう一つは、新たな法理・法解釈を示すことである。本書の書名である「紛争解決」は前者に、「規範創造」は後者に対応する。
 「紛争解決」については、著者は「事実も主張も証拠もほぼ同じであるのに、一審と原審とで結論が逆になっている場合」には、特に注意深く検討する。著者はまた、判断をするにあたって、その事件の訴訟の構造や経過に注目する。裁判所は、訴訟の当事者が誰か(③)、当事者がどのような主張をしているのか(①③④)によって拘束を受ける。このことは、裁判官や手続法学者にとっては自明であろうが、実体法学者が軽視しがちな点である。その訴訟の経過(最高裁がある法律構成をとると当事者に訴訟を一からやり直させることになってしまうが、それが妥当ではないこと)を考慮し、最高裁としてどう対処すべきかを悩む姿からは、紛争のただ中にある当事者への深い洞察が伺われる(①)。
 「規範創造」については、信義則や権利濫用法理を安易に用いるのでなく、より具体的な下位原理・下位法理を探索すべきこと、既存の法理では適切妥当な解決をどうしても導けない場合には新しい法理・法解釈を大胆に示す責務が最高裁にはあること、が述べられる。そのうえで、新たな判断について、それを示すにふさわしい時期(⑧)、それを示すべき事案の選択(⑥)、示す方法(①)が、具体的事案に即して明らかにされる。正面から示すのではない場合でも、「なお書き」(①)、事例判断(⑤)、不受理決定(⑧)に込められた思いがあることが、本書から直截に伝わってくる。そして、最高裁判例の射程については、慎重な検討がされるという。学説では、判決の射程を厳密に限定してとらえるべきだと強調するものがあり、本書でも、具体的事案との関係で射程範囲に注意を促すところもある(③)。しかし、本書の特徴は、むしろ最高裁判決のもつ事実上の影響力や波及効果を十分に認識したうえ、それについての配慮の仕方を述べる点にある(④)。その配慮は、判決文の一言一句に及ぶことはもとより、判決後の公表のされ方などをも視野に入れてなされる。その判決が公式判例集(民集)に登載されるかどうか、「判示事項」や「判決要旨」をどうするのか、調査官解説の内容がどのようなものになるのかは、いずれも裁判をする裁判所が決めることではない。しかし、それらを見越しつつ、最高裁として可能な限りでの判断を示していることがわかる。
 両者を通じて、裁判官の思考過程が述べられていることも興味深い。価値判断と理論構成との関係が具体的に描かれている部分(②⑦)を読んで、この有名なテーマについて改めて思いをめぐらす人も多いだろう。また、奥田裁判官が当初の考えを調査官との議論を経て改めていく過程が率直に語られる部分(⑥)は、印象的である。ここからは、むしろ著者の高い学識と人格が浮かび上がってくる。それは、「調査官裁判」というかつてあった批判が想定した像とは対極的なものである。

著者のメッセージ
 本書は、後進の学者・法曹・学生に向けられたメッセージで締めくくられる。学者に対しては、最高裁の判断が示されるまでの審議過程を知り、また、裁判所が手続法上の制約を受けた上で判断を示していることを前提として、判例の意図や意義を正確に理解することを求める。また、「制度の歴史的、体系的、内在的理解を助けてくれる研究論文」が裁判所にとって有用であるという。法曹(民事の裁判官・弁護士)に対しては、「天職としての自覚」をもつことを期待する。学生(法科大学院生)に対しては、「視野を広げ、目先のことにとらわれることなく、将来に活きる学習を心掛けて」ほしいという。
 このほか、法科大学院についての所感も述べられる。長年の大学人・研究者としての法学教育論に、最高裁判事を経験したことによる実務への配慮が加わった複眼的なものとなっている。
いくつかの感想
 最後に、評者の感想をいくつか述べたい。
 第一に、本書は、様々な人にそれぞれ有益な情報を提供していると思う。法律を専門としない人々にとっては、最高裁判所や最高裁判事という抽象的で縁遠い存在を身近で具体的なものとして認識するための最良のガイドとなる。日本では、最高裁判事の氏名を知っている人はごくわずかであり、総選挙の際の国民審査で印刷された氏名を記号として眺めるというのが普通かもしれない。しかし、最高裁判事は、私たちの生活にも関わる重要な判断をしている。その職責にあるのが、どんな人で、どんな生活をし、判断をするにあたってどのように考えたのかを知ることは、好奇心を満足させるだけでなく、法や司法に対する関心を一段と深めることにもなるだろう。まずは、本書第1部を読んで奥田裁判官という生身の人間を知ったうえ、第2部のうちの「エホバの証人」輸血事件(②)や乳房切除術事件(⑤)を読んでみられると良いと思う。次に、法科大学院や法学部の学生にとって、本書第2部は、珠玉の教材である。例えば、抵当権大法廷判決(①)は、どの学生も知っているはずだが、判決に至る裁判官の考察や判決文の正確な意味を本書から学ぶと、目を開かれる思いがするだろう。法曹(民事の裁判官・弁護士)にとっては、一人の最高裁判事がどのような観点から原判決を吟味し、判決に至る考察を経たのか、また、最高裁での審議がどのようにして行われるのかを知ることにより、各人の執務に具体的な示唆を得、また、将来の判例を予測するための視点を得ることができるだろう。最後に、民事法研究者にとっては、本書は、最高裁の判断の形成過程と判決文の正確な読み方を内側から教えるものである(もっとも、判決文の表現技術があまりにも高度に発達することについては、苦心の成果であるとはいえ、内向きの思考にならないよう意識し続ける必要があると思う)。 第二の感想は、本書が民法に関する事件のみを取り扱っている点についてである(郵便法違憲判決や国際私法に関する事件もあるが、民法にも関連する)。最高裁判事を経験した学者や弁護士によるこれまでの著作(伊藤正己『裁判官と学者の間』〔有斐閣、1993〕、大野正男『弁護士から裁判官へ』〔岩波書店、2000〕、滝井繁男『最高裁判所は変わったか』〔岩波書店、2009〕など)では、憲法・行政法・刑事法の事件についての論述の比重がかなり大きい。それは専門分野(伊藤教授は英米法)や弁護士としての経験を反映するものであろう。それに対し、本書は、やや地味な印象を与えるかもしれない。これは、著者の謙抑的な姿勢の現れとも見える(著者が専門外の分野の事件に費やした労力は大変なものであり、裁判所への寄与も決して小さくなかったと想像されるのに、あえて収録しない)。しかし、評者としては、これには、著者があくまでも民法学者として本書を執筆されたという、より積極的な意味があると理解する。
 そこで、第三の感想は、著者の遥か後方を歩む民法研究者としてのものになる。本書を読んで、判例評釈をするにあたり、判決文を細心の注意を払って正確に読むことの重要性を再確認した。その上で、研究者のする判例評釈の意義は何かを改めて考えた。最高裁判事と調査官の高度で膨大な知的作業を前にして、自分には、いったい何ができるのだろうか。外国の制度の研究については、本書で既に具体的な示唆がある。それ以外に何があるのか。ヒントは、研究者は事件から離れていること、遠くから判決を眺めることができる立場にあることにあると思う。その立場から、判決文の行間に込められ、あるいは、判決文以外のところに反映されているかもしれない最高裁の思いを忖度しつつも、しかしあくまでも判決文自体を対象として、それを客観的かつ綿密に読み込むこと。そして、そこで曖昧であったり軽視されている点について新たな視点を提供し、必要があれば思い切った批判をすること。それが裁判官や調査官を納得させ、次の判例形成に寄与するものであること。実は、これらは奥田教授が最高裁に入る前にされていたことである(無権代理人の本人相続における本人の生前の追認拒絶の意義〔リマークス1994〈上〉18頁〕、宅配便の約款の効力と第三者たる目的物所有者との関係〔判評48131頁〕など)。判例「評釈」が大変な力量と努力と覚悟を要する仕事であると改めて感じながら、そのような作品をめざしたいと思った。

 最後に、本書は奥田教授だからこそ書くことができたのだと思う。最高裁の審議や裁判官の思考過程について、もちろん表現や刊行時期に細心の注意が払われてのことではあるが、ここまで踏み込んで書くことは、著者の高い学識と人格と使命感をもってして初めて可能なことであったと考える。学識については、繰り返さない。人格については、冒頭の三葉の写真をつなぐ「樹木の根っこ」にある内なるキリストについて語られ、困難な質問に誠実に対応されているシンポジウム記録(北大法学論集60巻3号〔200961頁以下)を補足して紹介するに留める。使命感は、厳しくかつ暖かい教育者としてのそれである。本書によって著者が伝えたいと願われたことを、貴重な贈り物として受け止めたい。

(なかた・ひろやす=東京大学法学部教授)

紛争解決と規範創造 -- 最高裁判所で学んだこと,感じたこと 紛争解決と規範創造 -- 最高裁判所で学んだこと,感じたこと

奥田 昌道/著

2009年12月発売
四六判 , 252ページ
定価 2,376円(本体 2,200円)
ISBN 978-4-641-12520-9

民法学者として久々に最高裁判所判事となった著者が,最高裁での日常,判決の作成過程,判決射程の読み方,判決に求められる紛争解決機能と・・・

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