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荒木尚志・大内伸哉・大竹文雄・神林 龍[編]『雇用社会の法と経済』<2008年1月刊>(評者:南山大学 唐津 博教授)=『書斎の窓』2008年12月号に掲載= 更新日:2008年11月23日


諏訪康雄教授によれば,こうである。労働法は,これまでも政治学や社会学,人的資源論などの議論に触発されて,学問自身の理解を深め,法理の妥当性を高めようとしてきた。最近発展が著しいミクロ経済学もまた一定の範囲で,これらの諸科学に伍して,あるいはそれ以上に,労働法の発展に寄与をしていくことであろう。それはちょうど,戦後の法社会学の発展により,およそ社会学的な観点を無視して法学を語れなくなったのと同様に,経済学をまったく学ぶことなくしては,労働法の研究も実践も妥当性を確保することがむずかしい時代になってきている(「労働をめぐる『法と経済学』――組織と市場の交錯」日本労働研究雑誌500号〔2002年〕24頁)。
ただ,労働法の分野において「法と経済学」(法の経済的分析)からのアプローチの必要性が強く説かれるようになってきたのは,せいぜいここ10年ほど前からにすぎない(1998年から99年にかけて日本労働研究機構〔当時〕が実施した「雇用社会の法と経済」研究会の報告書〔2001年刊〕は,その胎動ともいえる)。また,この「法と経済学」アプローチは,戦後の労働法の理論的創造期における法社会学的アプローチの肯定的摂取ほどには,いまだ多くの労働法学者のこころをんでいるわけでもなさそうである。
しかし,近年,強力に推し進められてきた労働分野における規制緩和(後には規制改革と呼ばれる)政策の展開において,労働経済学者の発言が大きくクローズアップされ,その矛先が雇用労働関係に対してさまざまな規制をはりめぐらす労働法(労働関係立法,判例法理,学説等によって定立される種々の労働法ルール)の合理性,妥当性に向けられていること,そして,その主たるターゲットが労働法ルールの根幹を成す解雇規制(判例法理としての解雇権濫用法理は,労基法一八条の二に明文化され,現在は,2007年制定の労働契約法一六条に移設された)であることは周知のことであろう。今や,労働法学者は規制緩和政策を推進する立場にある労働経済学者による労働法ルールへの論難?(その典型例が,福井秀夫・大竹文雄編著『脱格差社会と雇用法制―法と経済学で考える』(日本評論社,2006年)であるが,これに対しては多くの労働法学者達の批判・反論(たとえば,季刊・労働者の権利270号〔2007年〕2頁以下)だけでなく,同学の労働経済学者からの厳しい批判(江口匡太・神林龍「雇用法制を巡って」日本労働研究雑誌572号〔2008年〕がある)に対して,否応なしに立ち向かわざるを得なくなった。


本書の共編者は,労働法規制や解雇規制のあり方をめぐる議論についての労働法学者と経済学者の共通の土俵づくりの試み(前掲の研究会報告書や大竹文雄・大内伸哉・山川隆一『解雇法制を考える――法と経済学の視点』〔勁草書房,2002年〕等)を踏まえたうえで,本書ではこれまでのように両者がそれぞれ一方的に論じるのではなく,また,その対象を解雇規制に限らず,「労働法学が主導して論点を提示し,それについて労働経済学の立場から応答するというスタイル」(はしがき)が採られ,具体的な論点について,「互いの問題関心をすり寄せながら,法学と経済学の思考法はどこが同じでどこが違うのか,ということを『対談』を通して明らかにしようとした」(同)。また,「読者の理解の一助になるように,各テーマごとに解題をつけている。一読して難しそうであったら,まず解題から読むことをお勧めする。巻末には,雇用・労働における法と経済のコラボレーションの礎を築かれたパイオニアであり,また実際の政策立案でこれを実践されている先達のお二人(諏訪康雄,清家篤の両教授―評者・注)を招いた座談会も収録している」(同)。
本書の取り上げるテーマと論者は,章別に, (1)解雇規制(荒木尚史・大竹文雄),(2)賃金(橋本陽子・安部由起子),(3)高齢者雇用(森戸英幸・川口大司),(4)労働時間(小畑史子・佐々木勝),(5)労働条件の変更(大内伸哉・安藤至大),(6)有期雇用規制(両角道代・神林龍),(7)人事考課・査定(土田道夫・守島基博),(8)雇用平等(山川隆一・川口章),(9)労災保険(岩村正彦・太田聰一),(10)ストライキ(奥野寿・石田潤一郎),であるが,各テーマについて提起される問いかけは,きわめて挑発的である。すなわち(以下の番号は前掲テーマ番号),(1)解雇規制はどうあるべきか。労働法学が説く解雇規制の必要性・正当性の論拠は,論拠たりうるか。最低賃金制度は雇用にどのような影響を与えるのか(どのような経済効果をもっているのか),貧困対策としての効果はあるのか。同一(価値)労働同一賃金原則は賃金格差を解消するのか。(3)「年齢に関わりなく働ける社会」「エイジ・フリー」のスローガンのもとで,定年制のメリット・デメリットは何か(これまでの定年制を軸とした雇用慣行も悪くないのではないか)。改正高年齢者雇用安定法はどのように評価できるのか(本当に現状よりよい方向に向かうのか)。(4)何のために労働時間を規制するのか。割増賃金規制,労働時間規制の柔軟化,年次有給休暇制度のメリット,デメリットは何か。(5)就業規則による労働条件変更ルール(使用者による労働条件の一方的変更を認める判例法理としての合理性基準論は,現在,労働契約法一〇条に明文化された)は,法律学・経済学の観点から正当化できるのか。個別的な労働条件変更のルールはどのように考えるべきか。(6)有期雇用の制限(契約期間の制限)はどのような意味を有するのか。有期雇用・雇止についての解雇権濫用法理の類推適用法理は正当化できるか。(7)人事考課における「公正な評価」の法的要請,賃金制度の設計(成果主義賃金制度の導入),解雇・降格についての法ルールは,経営学・人事管理論においてはどのように評価できるか。(8)労働法制において雇用平等(雇用差別禁止)の実現を図る根拠は何か。雇用平等の実現のためにはいかなる手法(行政監督・罰則,訴訟,政策的誘導(ソフト・ロー)による差別禁止とポジティブ・アクション)をとるのが適切か。(9)労災保険制度は必要なのか。労災保険給付の水準,労災保険料の負担はどのように考えるべきか。労災保険の事業主体は国でないといけないのか。(10)使用者,労働者さらには第三者にも経済的損失を与えるストライキは,他の紛争解決手段(仲裁合意,強制仲裁制度)と比較して合理的か。使用者によるロックアウトは,就業規則変更法理との関連において,どのように評価できるのか,というのである。


本書を読み進むにつれ,労働法の基本的骨格を成す最低賃金制,雇用平等,労働時間規制,さらには労災保険制度の必要性もしくは論拠いかん,の問いかけに何やら腰が落ち着かなくなったのだが,最終章でストライキは紛争解決手段として合理的なのか,と問われるに至っては,まさに虚を衝かれた感がある。腰が落ち着かないのは,労働法学者にとっては自明の理であると考えられていることが労働経済学者の議論ではどのように展開するのか,奇妙な不安または期待を感じたからであろう。虚を衝かれたのは,「ストライキという社会的費用を伴う交渉圧力手段を憲法が保障していることの意味をどう理解すべきかについて,法律学と経済学双方からのおそらく初めての分析である」(荒木・解題,本書263頁)」からだと考えられる。すなわち,本書は労働法学者自身に,労働経済学者との対話の形式を借りながら,実は,労働法の規制根拠,規制内容,規制手法についての議論の再構成,緻密化を促すものである点に,固有の意義を認めることができる。本書の企画・構成の妙味というべきであろう。それはまさに,労働法の存在意義が問われる規制緩和の時代にあって,冒頭で引用した諏訪教授の言のように,労働法がミクロ経済学的発想を摂取することによって,労働法の衰退ではなくむしろ確固たる労働法理論の再生への足場を固めることが期待できる,ということにほかならない。


紙幅の都合上,本書で論じられている内容を具体的に紹介できないので,いくつか感想めいたことを記しておこう。まず,各章の始めに付せられた解題(各編者が分担)には大いに助けられた。労働経済学者のロジック(解雇規制の非効率性を導くロジックに典型的である,課題の設定と条件的仮説の積み重ねによる論証,すなわちA⇒B⇒C⇒D,よってAであればDに帰結する類の理論モデルの展開?)をフォローするのに難儀した(社会事象の展開は多くの可変的,流動的諸事情に左右されるものなので,複雑な現実の一コマを切り出して設定される仮説・理論モデルの展開・帰結に強い違和感がある)からである。はしがきにあったように,まず,解題を読んで議論内容に検討をつけたうえで,本論を読み,その後,再び解題を読む,このようにして議論の流れやポイントを確認できた。
また,巻末の座談会(出席者は前掲の両教授と大内教授,神林准教授)には興味深い指摘が満載で,非常に有益である。法学的思考と経済学的思考の異同,労働法学と経済学の理論的接点および労働経済学の動向の歴史的俯瞰は,明快かつ新鮮な視点を提供するものとなっている。そして,学際的研究を悩ませる,法学者と経済学者の使用する基本的な概念の違い(たとえば,契約理論)についての清家教授の言に共鳴した。曰く,例えば労働市場や契約の定義を両者でそろえる必要は全然ない,むしろそろえてはいけないのかもしれないわけで,両者がどうして違う定義の仕方をしているのかということを理解するのが大切(323頁),と。労働法と労働経済学の役割の違いを看過してはならず,これをそれとして認めたうえでの対話でなければならないのである。なお,「労働法学と応用経済学(補論)」(両角・神林,163頁以下)は,労働法学と経済学の双方が,自らのそして相手方の「学」としての特徴を簡明に論じており,評者には,教えられることが多かった。特に,応用経済学上の議論では「とりあえず『パレート規準』という社会規範をアドホックに想定」して,「『契約自由の原則』『経営の自由』『取引の安全』『柔軟性』『弱者保護』『雇用保障』『差別禁止・均等待遇』『労使自治の尊重』といった具体的行動規範は,すべてパレート規準に奉仕する下僕に過ぎないと考える」(165頁)という件は,「社会規範」や「行動規範」といった規範概念の顕著なズレにとどまらない,立論やロジックのあり様そのものの彼我の差を感じさせる。各章の議論(労働法学者のそれも含めて)には多くの疑問が湧き起こり,あれこれの書き込みをしながらの読了であったが,本書が知的刺激に満ち,知的闘争心を駆りたてる一冊であることは確かである,このことを最後に書きとめておきたい。
(からつ・ひろし=南山大学教授)

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